EUで叫ばれている「修理する権利」の話題を目にすることが増えてきました。日本でも注目されているようで、スマホの電池交換について多くの人がコメントしているのを見かけます。コメントの中には電池交換構造についてズレてるようなものもあり、ネタなのかなと思う一方で多くのスマホがユーザーの電池交換をしない前提の構造となってそれなりの年月が経ったのだなと感慨深かったりします。
なのでまぁ、昔のケータイを見て欲しいのです。電池交換ができた時代のケータイを。
左側は古き良き時代のガラケーというものです。最近の若手はガラケーやフィーチャーフォンという単語が通じなくなっているので大変につらい。
右側はスマホですね。2013年に発売されたXperia Aです。初めてAndroid搭載したXperiaであるSO-01Bが2010年発売、そこから3年なので結構こなれてきたころのスマホですね。
このXperia Aはパッキンが付いているカバーを見ればわかるように防水機種です。IPX5とIPX8に対応しているので防水性能は今の時代のものと遜色ないですね。Wikipedia見るとIP6Xが無いので防塵はダメなのかもですが。
左のガラケーの電池はプラのカバーで四方を囲まれており、容量は1400mAh。今の時代だと4000~5000mAhくらい積んでいるのを思うと非常に少ないですね。Xperia Aの方は2300mAhで、ガラケーに比べれば増えましたが現代に比べるとまだまだ。
今のスマホは昔に比べて大型化しているのでその分バッテリのサイズが大きくなっているし、電池そのもののエネルギー密度も増えているのはあります。加えて今の時代の電池は防御を脱ぎ捨てていて容量に全振りしているんですよね。
ちょっと前に文鎮と化したPixel 4a 5Gの電池はこんな感じで、両面テープでシワが出来る程度のシートでぐるっと巻いてるだけですし、基板部分もちょろっとカプトンテープを巻いている程度です。
一方でXperia Aの方は、厚み方向以外はプラのホルダに囲われていますし、巻いているシートもPixelのものより強い印象です。(テープの粘着力に違いがあるとはいえシワが出来ない)ホルダーや巻き物に寸法を譲ることでユーザーのハンドリングに耐えられる構造としている一方で、その分は容量が落ちてしまうか本体側のサイズ増につながっているという事ですね。
時代とともに電池交換できるモデルは減っていき、電池の容量はどんどん伸びていきました。つまるところ交換できるニーズよりも容量が大きいこと、スマホのサイズがスリムであるニーズの方が高かったわけです。京セラのスマホは今でも交換できるスタイルのものでしたが、コンシューマ向け撤退するくらいなのでそんなに売れなかったんでしょう。そのくらい電池交換については優先順位は低かったのだと思うので、いざ「修理する権利」が叫ばれても本当に修理する?電池交換して使い続けるの?は個人的に疑問だったりします。
あと電池交換しようという気概があれば、今のスマホの構造でもやれると言えばやれそうです。昔みたいにツメで取り外せるようなものより難易度は高いですが、接着剤ではなくテープで貼られているものならダイソーで吸盤を買えば開けることは可能です。ガラス基板タイプのOLEDを開けるのはちょいと怖いですが。
電池の固定も引っ張って剥がせるテープだったり、剥離剤を注入したりで取れなくもないので部品供給さえあれば電池交換は出来る構造になっているものは結構ある印象です。EUの動向を経て、各社がどのくらい電池交換に配慮した構造にするのか、「一応交換できますよ」なのか「誰でも簡単にできます」なのか、気になるところですね。
まとめ
電池交換について思っていることを自由に語ってみました。
かつては容易に電池が交換できる構造で、「修理する権利」を主張する人は昔の構造に戻ることを望んでいる人もいると思うのですが、個人的には時が昔に戻ることは無いのかなと思っています。あれは敗北したデザインのなので。
あと容易に電池交換できた時代には非純正でサイズ互換の自称大容量電池がAmazonで売られたりしていたのですが、それを使っている人の電池が妙な膨らみ方をしたり凄い勢いで劣化したりしていて怖かった覚えがあります。ユーザーが弄れる範囲を増やすなら、ユーザー側がきちんと純正の物を使うようリテラシーも向上させる活動が必要かと思います。リチウムイオン電池は怖いです。
temcee.hatenablog.com
GoogleがPixelのアップデート期間を7年にするなど、スマホを長く使うことが意識される世の中になってきましたね。
4a 5Gが3年も経たずに文鎮化した身からすると、7年持つハードウェア設計になっているのかと疑問ですが。