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メカ設計の僕が、技術系の失敗談を語れない理由

お昼休みの時間にTLを眺めていると、「失敗談が聞きたい」というツイートが目に留まりました。

失敗談…僕も8年ほど開発職で働いているので、手痛い失敗体験があります。そのことを具体的に語れるかというと、難しいですね。

ツイート主の意図する技術とはITのことで、メカ設計の僕と条件や求めてる失敗談の性質が違うのは重々承知しています。その上で、僕が失敗体験を語れない理由をつらつら書いていきます。決して、プライドや意識の高さに邪魔されて語れないんじゃないんです。

失敗=他者への損失

新しい技術を学ぶこと、その情報を発信するは、ポジティブなことです。そういうのはオープンにしていくべきだし、オープンにしやすいんですよね。技術を学ぶ背景に会社の存在があったとしても、発信する内容がいわゆる秘匿技術で無い限りは、会社にマイナスの影響を与えることがありません。気兼ねなく、新しい技術について語ることが出来ます。

しかし失敗というものは大なり小なり、会社に迷惑をかけています。失敗談を語ることで会社のイメージが悪くなる、という点を懸念しているのではありません。会社に損失を与えた、その結果そのものが大きいのです。(メカの失敗は、改修騒ぎになると損失額が凄いことになるので、余計に)

会社だけでなく、ユーザーにも不都合が生じたことでしょう。せっかく買った商品が不良品だったことへのがっかり感、修理や返品にかかる手間や時間。

失敗するということは、他者に損失を与えているわけです。

その教訓は、誰のモノ?

失敗談というのは、冒頭のツイートにもあるように、貴重な情報です。人も会社も過去の失敗を学ぶからこそ同じ失敗を避けることができ、技術を先に進める方に工数を割けるわけです。

そんなわけで失敗談には需要があります。語れば一定層には受けるし、助かる人もいるかとおもいます。そういった、需要のある情報を発信した人にも、何等かの利益があるでしょう。しかし、実際に損失を負った会社やユーザーには何にも利益がありません。

失敗も個人の経験でありスキルだから自由に語るべし、という考えもあるかもしれません。それはそれでアリな考え方かも知れませんが、他に迷惑かけた人がいることを考えると、失敗の教訓を自分のものと断言はできないですね。

迷惑かけておいて、良いとこどりはできない

つまりは罪悪感です。他者に損失を負わせた、その件をネタにして自分の利益につながることは出来ない。そういうことです。

僕は、人には良心があると思っています。他者の迷惑をそのままネタにして、平気で利益を得られる人は、そう多くないんじゃないでしょうか。

まとめ

なぜ僕が失敗談を語れないか、その理由を描いてみました。

失敗は宝、しかしそれを被害者補填無しに共有することは、精神的な障壁で難しい。となると、失敗談の共有が損失を受けた人たちの損失補填になるような仕組みみたいなのが必要なんじゃないかなと、僕は思います。

それがどんな仕組みなのか僕には想像がついていませんが、とにかく失敗談を語ることで皆が利益を得られるようになれば、もっと失敗談が一般的なものになって、社会全体がより良くなっていくのかもしれません。

こんな記事も書いています。

temcee.hatenablog.com 会社の内部では失敗談は大いに共有し、どうすれば次が起こらないかを考える必要がありますね。