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失敗の本質と日本メーカーの曖昧な製品企画

「失敗の本質」という本を読みました。

先の世界大戦で日本軍が惨敗した軍事作戦を振り返り、その失敗の本質を学んで組織運営に役立てよう!的な本です。

この本、発売は1984年と古いですが、戦史を俯瞰的に振り返り論理的な分析を行っており内容が濃く、読み物として面白いです。実用面で見ても現代に十分通用する内容かと思います。というのも、この本で分析されている日本軍の組織的欠点は今の日本企業にも引き継がれているんですよね。

その最たるものが製品開発の「大本営」、製品企画でしょう。

失敗の本質にある曖昧さ

日本軍の組織的特徴として「曖昧さ」が繰り返し言及されています。指揮系統の曖昧さ。目標の曖昧さ。評価制度の曖昧さ。作戦決定の曖昧さ。

こうした多くの曖昧さは、末端作業員の行動を惑わし、只でさえ足りていなかった戦力を無駄に分散させてしまう事に繋がり、数々の作戦を惨敗に導く事になります。

日本軍の持つこの曖昧さは製品企画の場でどのように発揮されているのでしょうか。

全部載せで曖昧になるターゲット像

日本メーカーの製品企画の特徴として「全部載せ」があります。老若男女、あらゆる人がリーチすることを目指した結果、過度な多機能と煩雑さにより誰にも見向きされない製品となってしまう…ひと昔前のケータイ業界は特にこの傾向が顕著でした。

物が不足していた時代では人が物に合わせて行動していましたが、今は物が人に適応していかなければ生き残れない時代です。趣味思考が異なる大勢を同時にターゲットとすることは不可能、にもかかわらず良いとこ取りを狙うと、自然と目指すターゲット像がボヤけて曖昧なものになります。

ハード開発側からするとターゲットが曖昧になることは迷惑極まりないです。操作する手の大きさ、力の強さ、体格、使い方・製品に対する理解度。こういったものがボヤけると何を基準に設計をすれば良いか分からなくなります。自然と、冗長性が高いものを目指す事になります。これは多機能・過剰品質に繋がります。その結果がどうなるか、先に例に出した日本のケータイ業界の現状を見れば一目瞭然でしょう。

過学習が曖昧さを引き起こす

こうした曖昧さの原因はどこにあるのか。その鍵も失敗の本質にありました。

「戦略原型に対して過剰に適合する事」

日本軍は古い戦争(日中・日露戦争)の勝利経験における教訓を徹底的に学習し、その理想に適合していきました。製品企画の場においては、「承認者の承認を得る事」に特化して学習を行い、適合していってるわけです。ビジネス的には「市場で売れて利益を挙げられるもの」が第一にあるべきなんですが、ね。

その企画が利益を挙げられるか?という点に承認者は注目します。利益を挙げるためには「十分な売上を見込める市場」と「利益を出せる製品価格」が求められます。この2つを解決する手段として最も手っ取り早いのが予想販売数量の増加であり、販売数量を増やすためにターゲット層が拡大されます。目標が決まれば、材料はなんとでもでっち上げられるものです。

こうして承認者の琴線に触れる、企画を通すための企画が曖昧な製品の元になるわけです。

失敗を繰り返さないために

失敗の本質には過去の反省を乗り越え、目指すべき姿についても言及しています。ここでは多くを触れませんが、そこに述べられていることは今の社会で成功をおさめている企業に共通しているものと言えます。キーワードは空気感の排除と合理性の徹底でしょうか。

この本の本筋ではありませんが、第二次世界大戦の局地局地の作戦について歴史の勉強としても大変面白かったです。インパール作戦やレイテ沖海戦など、取り上げられてある戦闘はどれも有名な惨敗作戦らしいので、もし第二次世界大戦について興味があるなら軽く読むにはちょうどいい一冊かもしれません。

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temcee.hatenablog.com