宇宙兄弟のツイートが深く刺さってしまいました。
「モノ作りには......失敗することにかける金と労力が必要なんだよ」#新卒IT社員に伝えたいこと pic.twitter.com/z4uhpM4RR9
— 宇宙兄弟 39巻発売中🚀 (@uchu_kyodai) April 15, 2021
自分もハード開発職やってるので常に新しいモノを作ってますし、過程で失敗することもあります。そんな時に失敗をも肯定してプロダクトを前に進める手助けをしてくれる存在ってありがたいんですよね。
一方、現実は逆に心を挫くような出来事もあるわけです。
多人数による失敗のなぜなぜ分析
失敗に対して「何故失敗したか」って質問をぶつけられるのはある程度仕方ないとは思いますよ。次に失敗しないためにどうすれば良いか、それを抑えておかないと失敗が次に活きないですしね。
しかし失敗の深堀りはコントロールが難しい。失敗の矢面に幾度も立たされる現場の人間としては常々そう感じます。失敗は根幹の仮説か、失敗するまでの検証方法の誤りで生じるわけですが、ハンドリングを間違えると個人攻撃になりがちです。
多くの人は個人攻撃をするつもりないのかもしれませんが、位の高い人が多人数で個人相手に何故?何故?と聞かれるとキツイものです。時には攻撃しにきてるとしか思えない発言もあったりします。
検証が尽くされていないじゃないか
製品開発には期限があり、新しいことをやるに必要な検証は多数に渡り、往々にして開発過程で検証項目の取捨選択が行われ、不運にして捨てられた側が火を吹くこともあります。見落としていることもあります。
「検証が尽くされていないじゃないか」
後出しジャンケンなら負けないよな、という気持ちしか起きないですね。
案無し、行動無し。どうするの?
「どうするの?」と聞いてくるだけの行為。リカバリーの案を出すでも、行動するでもない、何1つ物事を前に進めない行為。
モチベーションを挫くだけでなく、やり取りに時間を要すだけでも有害です。
こんな苦労する価値あるんですか
僕は日々を無難に乗り切りたい派なので、必要ない限りは新しいやり方・構造にはしません。それでも毎度、新しいことをやっているのは、それを行わないと解決できない課題(仕様と言い換えても良い)があるからです。
時折、課題解決により得られる利益と解決するための難易度が釣り合ってない場面に出くわします。数百mmのうち0.1mmを削るために費用とリスクが必要になったりとか、そういうのです。自分で自分のやっていることに価値が見いだせなくなるんですよね。
ぶん投げでは
人から「新しいこと」を引き継いだり、他者のアイデアの実現役になってしまうとき。
愛着もない他人の挑戦で、時には地に足がついてない構想みたいなものに足を生やして着地させないといけないときはネガティブに陥りやすいです。やるだけやった、後は任せた。仕事なので開発なので研究ではないので、なんとか世に出る形にしないといけないけど、どうしても感じてしまうぶん投げられ感。
これやらないとだめなんですか。いや、やるんですが…というサラリーマンエンジニア仕草の哀しいこと。
まとめ
新しいことをやる時にモチベーションを下げる敵をつらつら書きました。
今回は自分がやられて嫌なことを書いたのですが、一方で自分もソコソコの年と経験を経てしまったので発言を気にしないといけなくなってきたと感じます。特に若手の相談を受ける時は、自分がやられて嫌だった言説をしないよう注意しています。
ネットでは褒めましょう、人を責めないようにしましょうという言説をたびたび目にします。新しいことに挑戦して失敗した時に必要なのは人自体を肯定し、仮説やプロセスを追求できる事だと思います。自分は、そういうことができる人になりたいですね。