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夏目漱石の「道草」と、片付かない日常

夏目漱石の「こころ」は思い出の本だ。
出会いは教科書で、全体の一部分だけを切り抜いたものにも関わらず、登場人物の繊細な機微、こころの複雑さ、美しさに僕はすっかり魅了された。この本との出会いが無くば、僕は本を読まない大人になっていたかもしれない。

そんな夏目漱石の著書だが、実は「こころ」以外を読んだことが無かったことに気付いたのは、図書館にて漱石の小説群を見つけた時だった。そしてとっさに借りたのが「道草」だ。

こころに比べると、道草はどうしようもなく現実だった。
生活は出来るものの、さほど裕福ではない。妻とはすれ違いが続き、育ての親や兄姉は金を無心してくる。関係を切りたいけれど、そう簡単には切れない。うだつの上がらない日々。劇的な何かが起こるでもなく、読み進めても状況が変わらず続いてゆく。片付かない日常がそこにあった。

感想を一言でまとめると退屈だった。

ただ、読んだ後に何気なく日常を送っていると、著内にあった「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。」が頭をよぎるのだ。
スケジュールに無理があるとフィードバックしても開発は相変わらず無理なスケジュールが突っ込まれ、解決した風の問題は至る所で再発、製造現場とは喧嘩して、仕事を離れても子供に振り回される。何かを成したと思っても実は状況が変わっておらず、イヤだなぁと思いだけが積み重なり鬱屈とした気分が残る。僕の日常もまた、片付かないものだった。人生の苦さをうまく言語化した作品だったのだなぁ。

読み終わった後で、「道草」が漱石自身の境遇を書いた自伝的な小説だったことも知った。
歴史に名を残すほどの人も、片付かない日常の中で真綿で首を締められるような苦悩を抱えていたのかなぁと感慨にふけらされる。

起伏があるタイミングもあるけれど、ダラダラと続く物事の処理に多くの時間が割かれるのも人生だ。そこに暗さと閉塞感を覚えつつも、時間に手を引かれながら前に進んでいくのだなぁと思う今日この頃。

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