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「実力も運のうち 能力主義は正義か?」おごりと屈辱、失われた労働の尊厳

Brexitやトランプ政権の発足あたりから社会の分断が多く語られるようになりました。グローバル化が進んだ結果、例えばアメリカでは上位1%が国民所得の20.2%を手にする一方で下位半分が12.5%しか得ていません。こうした極端な貧富の差から下位層がエリート層への怒りをもってしてポピュリズム的な反応を起こしている、と僕は理解していました。

しかしこの分断の根本は所得だけで語られる浅い話ではないことを多くの情報を元に語っているのが本著、「実力も運のうち 能力主義は正義か?」です。

学歴偏重の極めて不平等な社会体制にあって、厳しい競争を勝ち抜くことで「自分の地位は能力と努力の賜物」とおごるエリートに対し、富=能力=尊厳と結び付けられる社会で「努力が足りない」とされ屈辱を与えられる下位層が存在しています。勝者たるエリートは偶然に才能が認められる時代と才能を育むことが出来る環境にあったことを忘れ、謙虚さと敗者への配慮を失いがちになるのは能力主義の常であるはずなのに、その批判が不十分であったために本来共通善として価値ある労働…例えば清掃作業員などインフラを支えるもの...から労働の尊厳が奪われており、これこそが怒りの根にあるものと述べられています。

読み進める度に僕の中で当たり前に存在していた能力主義の絶対像がゆらぎ、価値観を揺さぶられました。今年読んだ中で最も印象に残る書籍と断言できます。

労働の尊厳

能力主義の問題について多くが語られる本著において、僕に最も印象深かったのが労働の尊厳に関するトピックです。

そう、労働は人の問題を解決するために行われるもので、人の役に立っているものは全て尊いものなんですよね。それがいつしか、富により尊厳の重み付けがなされる様になってしまい、かつては得られていた労働の尊厳が失われてしまった、と。

能力を至上とする社会で能力がないと周囲に見られ、自分で認めることは何よりも辛いことであり、自分の能力が社会に貢献できないと感じることほど虚しいこともないわけです。失われた尊厳は経済的に支援するだけでは取り戻せず、社会への貢献を行うことで自身の有効性を自他共に認めてもらう必要があるわけで。そのためには今の能力主義的な価値観を是正するための議論、決め事を作ると行った大きな取り組みが必要になってくるのかなと感じています。個人レベルで出来ることは、自分の周りの労働者に対して常に尊敬と感謝の念をもってしてあたること、でしょうか。

原文のMeritの意味

最後の解説にあったMeritの訳し方も興味深いお話でした。

邦題で能力主義と約されているMeritocracyのMerit、原義でいうと「功績」という訳の方が相応しいそうです。

英語圏では功績主義、つまり顕在化された結果を見ているのに対して日本語訳では能力主義、功績を生み出す原因とされる能力に置き換えが出来る、功績と能力が混合されているというわけです。能力という実態が無いあやふやなものに支配されている点で、日本の能力主義は英語圏のMeritocracyよりも根深い問題なのかも、と〆られてました。面白い視点ですね。

まとめ

「実力も運のうち 能力主義は正義か?」の感想でした。

自分が身を置く電機業界やハード設計という職種も、今のソフト全盛の時代においては下に見られているなと感じるところもあり、自分の中にあるIT系テック系へのモヤッとした思いも根っこは自身の仕事の尊厳、社会への有効性にあるのかも?と思わされました。

口で「君の仕事は非常に価値あるものだよ」と言うのは簡単なものの、本人がそう思えるようになるには言葉だけでも足りず、かといって富を与えるだけっていうのも違うよなー、どうすればいいんだ!って感じです。

あとは、今の現況を自分以外のなにかのせいに出来るって、精神的には救いになる話だなとも思ったり。自分で自分のことを能力がないと感じることは辛く、こうした自己批判を回避できる点で昔の階級社会には優しい面があったのだなっていうのも、新鮮な気づきでした。(だからといって昔が良かったというわけでもないのですが)

何かと生きづらさを感じる世の中ではありますが、皆が謙虚さをもって周りの労働に感謝しつつ富の再分配もうまいこといって各自の活躍できる分野で自信満々に過ごしていける様になるといいですね。