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終わるときはこんなものか

Twitterの仕様変更で1日600ツイートしか閲覧できなくなった。

最初はピンと来ていなかったものの、しばらくして影響を実感することになった。そうヘビーに使っていなくても閲覧制限がかかっている、、高々400程度しかフォローしていない僕でも規制にかかってしまうほど、600ツイートというのは少ないものだったのだな。

僕よりもいろいろな感度が高い人はいつも通りTwitterの代替を求めて他のサービスに飛び移り、サーバーを落として回っている。このあたりの動きはイーロン・マスクがTwitterを仕切るようになってから定期的に起こる様式美とも言うべきものだが、今回はいつもより規模が大きいような気がしている。というのも、僕が代替というか次の地として根をはりつつあるMisskey.ioがなかなか安定しないのだ。

そもそもTwitterの代替になりうるものはあるのか。人によってTwitterの使い方は違うので一概にまとめられないだろうが、自分に関していえばTwitterの代替というのは無いだろうなと言い切れる。

Twitterではリアル友人からウォッチ対象の狂人、専門領域を同じくする人、ゆるやかな繋がりでコミュニケートする人、などなど広く浅い繋がりの中でt_emceeというアカウントが成り立っていた。代替となるSNSでは、その関係性を完全に持ってくることはできない。BlueskyもMisskeyもDiscordもMastodonも、ちょっと違う。それぞれ興味の対象や中の人たちの属性がTwitterほど多様的ではなく、その中にいる自分もある方向に特化したペルソナを被った存在のように感じてしまう。Twitterの空気感は、残念なことにTwitterでしか再現できないのだ。

心のどこかで、Twitterは徐々に影を落としていきフェードアウトしていくものと思っていた。そのプロセスのどこかでTwitterの次が確立され、皆が移行して、いまのTwitterの空気感を継承してくれると思っていた。現実はそうではないのかもしれない。終わるときは急に終わるものかも。

以前と比べてTwitter見る時間は減っていたし、投稿はそれ以上に減っていて、何ならMisskeyの方が活動時間多いくらいになってたんですよ。愛着も何も消えてしまったと。それでもやっぱり「ツイートが取得できません」とメッセージが出ると行き場のない感情が発散先を失い、吐き出す先も無いままぐるぐる頭の中で回り続けている。