WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

転職者の送別会に際し、中途採用の僕が思うコト

所属する部署から転職する人が出て、本日はその送別会だった。

送別会は雑多ではあったが、感動的だった。上司の激励に、後輩からの贈る言葉、先輩との茶番。彼を転職に向かわせた物は僕には分からないが、怨恨だけで辞めていく形ではない事を、その送別会は証明していた。お互いに気持ちよく別の道を歩んでいこう、というポジティブな空気があった。

弊社は中途採用が多い。僕もそうだし、上司もそうだ。上司からの激励は、中途者ならでは重みがあった。そんなわけで久々に自分が中途採用だった事を認識させられたので、感じ入ったことをつらつら書かせてもらう。

実績へのプレッシャーに、経験を共有してきた者の不在。これらは中途採用された者ならば多かれ少なかれ感じる物だろう。

中途採用は経験を買われ即戦力が期待されている

自分が積み上げてきたもの、経験してきたこと、それらが今の会社に評価されない物だったとしたら?それらは無価値なのか?そう思われることは、僕には我慢ならない。回りくどい言い方になったな。詰まる所、前職の経験を…前職を舐められたく無いという思いが内にあるのだ。

僕と前職の関係は、件の送別会の主と比べると険悪なものだった。僕自身、仲のいい人もそれなりにいる物の、会社として、部署として、前職は辞めてよかったと思う程度に嫌っている。そんな前職であっても、やはり舐められたくないのだ。

ライン作業者に混じってマッキーで目隠し塗装をした事も、障害対応で学生に頭を下げた事も、リーダー不在の中で100を超える残業量で業務を乗り切った事も、地獄ではあるが僕の血肉になっている。これらを無価値な物と断じられるのは嫌だ。大げさではあるが、ある種では前職の看板を背負っているような気持ちにさえなる。この気持ちと、外部からの実績を求めるプレッシャーが合わさると、中々重みがあるものだ。

経験を共有したものがいない

新天地にいけば当たり前のことだ。

だが、この孤独感は中々にツラい。単なる孤独ではない。周りの皆が価値観を共有出来ている中で、1人だけいる異質感。これは体験した物でないと分からない。

何らか仕事で経験を共有すると、彼らは戦友となる。価値観が合っているとは限らない。中が良いとも限らない。だけど経験を共有しているというのは、それだけで貴重なことだ。同じ戦場を戦ったものでしか分からないことが、確かにあるんだ。

会社を辞めても今の時代、繋がりを保つ事は不可能ではない。テクノロジーの進歩による作業量的には簡易になったとも言える。電話でもメールでもLINEでも、好きなように連絡を取れば良い。

だが現実はそう簡単にコミュニケーションは続かない。はじめはそこそこに連絡を取り合っていても、意識をしなければ離れた人はやがて関心から離れ忘れられていく。憎まれるより、嫌われるより、無関心こそが最も恐ろしいものだと、僕は思う。思われている間は忘れ去られない物だ。無関心は残酷だ。頭の中から、その人の存在をキレイさっぱり洗い流していく。

そして無関心を遠ざけるには継続的なメンテが必要だ。これを全てのコミュニティに対して実行出来る人は超人だろう。僕の前職との繋がりは、同期と、仲が良く年の近かった職場の同僚がかろうじて残っているだけだ。それすらも、意識しなければ容易に切れてしまうだろう。

ネガティブな事を述べてしまった

今日の送別会は感動的だった。この感動的な繋がりは出来れば今後も残っていて欲しいと思うし、転職される彼には新天地で頑張って欲しい。この思いは本物だ。

一方で、自分がうまく対処しきれていない上述の無いように関し、どうなっていくのかなという暗めの関心もある。

うーん、性格悪いな。寝よう。