WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

面白さは楽しさを超えられるのか

VR(仮想現実)の盛り上がりが増しているように感じる。僕はまだヘッドマウントディスプレイを持ってはいないけれど、CP+でThetaのデータをOculusで見た時の没入感に震えてしまった。Thetaの画質が大したこと無かったのでまるっきり現実を誤認するようなことは無かったけれど、今後画質が向上されていけばいつかはその場所に自分がいるかのように錯覚させることができるかもしれない。いや、それよりも現実と区別が出来ないくらい3Dモデリングの技術が向上する方が先だろうか。そうなるとどんな理想でも実現してくれるVRの世界に完全に没入することが可能になるはずだ。そうなったときに人は、いや僕は現実の世界に帰ってくることができるだろうか。

 何でも自分の思う通りにいく世界は間違いなく楽しい。望むものは何でも手に入る、人望権力財力体力、望めば難しい課題とそれを乗り越えた時の達成感すら与えてくれるだろう。理想的な世界だ。対して現実は厳しい。望むものを手に入れるために血と汗を流し、それでも掴めないことは珍しく無い。望んでないのに難しい課題は次々に降ってくるし達成できずに踏みつぶされてしまうことも往々にしてある。そして人間関係、仕事関係はもちろん交友関係や、家族関係ですら自分の思う通りになることはないしそれを望んでも行けない。自分でコントロールできるのは自分だけだ。たとえどんなに成功したとしても現実世界が完全に理想通りの世界となった人はいないだろう。だからこそ人は理想を目指して頑張るのだから。

 

で、VRの世界だ。理想を実現してくれる世界は何よりも楽しいものだろうし、そんなものがあれば僕は没入しまくって現実に帰って来れなくなるかもしれない。ただ一つ僕を現実に帰してくれる可能性があるとしたら楽しさではない「面白さ」だろう。

 

言葉の定義は人によって違うだろうが、僕の中では楽しさと面白さは明確に区別されている。楽しさとは精神負荷を受けず頭空っぽで晴れ晴れした感じで、面白さというのは好奇心に基づいた探求欲といったものかな。VRが僕の理想を実現する世界だとしたら、そこには僕の能力で処理できる物事しか起こらない。予想外のことが起こらない世界では好奇心をくすぐるようなものは何もない。楽しいけど面白く無い。それが僕の想像する理想の世界だ。

 

楽しいけど面白く無い、つまらない。そんな状況を僕は経験したことがある。学生の頃にはまったCivilization Ⅳ BtS......かつて低難易度で他のAI文明をあらゆる手段で滅ぼし勝利に酔っていたあの頃の僕は、確かに楽しくてつまらないと言える状態にあった。どんな立地、敵文明が相手だろうと各種ボーナスが僕を後押しし、紀元前の時代に多少苦戦することがあろうと舞台が現代にうつるころには大量の核兵器でシド星を核の炎で包みながら宇宙船で新世界へ飛び立っていた。楽しさが面白さを凌駕していたなら、僕はそこで止まっていただろう。しかし僕は少しずつ難易度を上げて行った。モンテズマやチンギスハンに戦争吹っかけられて泣くこともあった、遠くにいるマンサに好き放題技術と遺産を先行されて激怒したこともあった。それでも僕はその難易度に順応すべく試行錯誤を繰り返し勝利への飽くなき探求を行っていた。このとき、僕は楽しさよりも面白さを選択したのだ。

 

この経験は来るべきVR世界から帰還する上で貴重な経験になるかもしれない。楽しいだけの人生はつまらなく、そんな世界では僕は耐えられない。もちろんそれは悲劇的なことかもしれない。好奇心は猫を殺すという言葉がある、9つの命を持つと言われる猫も持ち前の好奇心が元で死んでしまうことがあるというもの。好奇心をモチベーションとした行動は僕を死に至らすこともあるだろう。それでもやっぱり不確実性を求めて、または自分の想像を超えるものを期待して、僕は現実に戻ってこられるのではないか。