六本木は国立新美術館の、荒木飛呂彦原画展JOJOに行ってきました。
普段は芸術からほど遠い身なので、原画見ても楽しめるかなぁなんて思いつつ、やっぱジョジョファンなんですよね。行きたくなりまして。
結論から言うと、行って良かったです。絵や芸術の素養なくても感じ入るところが色々とあって、満足できる展示でした。
以下、思ったことや写真をつらつら置いていきますね。僕みたいに、「原画なんて見て何が楽しいの?」っていう人の参考になればと思います。
原画だからこそ出せる本物感
展示されている絵はどれも単行本とか雑誌とかで一度は見たことあるものなんですが、本物感を感じました。カラー原画は特に顕著に。
この本物感はどこからくるのか。自分が着目してるところを意識してみると、それは筆の走りだったり、塗料の盛り上がりだったりするわけです。
印刷物ってのは、人の目で見る限り完全に二次元です。翻ってアナログ原画はどうか?上述のように、色の濃いところ、重なっているところ、そういうところってよくよく見ると3次元なんですよね。厚みがあるというか。
で、そういった厚みがある物って、見る角度や照明の感じが変わると印象が変わるんですよ。歩きながら原画を見ていて、同じ物を見てるのに覚えてしまう違和感。これは原画から無意識に3次元を感じてしまうからなのかもしれません。
思えば写真も立体感を出すために遠近差を意識したり光学的なボケなど、疑似的な3次元感で印象作るようなテクありますよね。3次元感って、作品の迫力を出す上で重要な要素なのかなって、考えさせられました。
カラーコピー機とか、深度情報得て実際的な立体感を演出できるようになると、また一風変わった作品とか作れるようになるかもしれませんね。
フォトスペースが大盤振る舞いだぞ!
「一部撮影可能だと…?どうせ入口あたりで『杜王町で僕と握手!』みたいな感じで吉良のパネルと写真撮るとか、その程度だろ!」
そんな感じで撮影については期待せず、カメラも持たずに出向いたわけですが、完全に後悔です。
これ全部写していいとか、そんなん考慮しとらんよ。。。
仕方ないのでスマホ撮影です。照度の低い展示環境では、まだまだスマホだと厳しいですね。ノイズ、解像感、そして手振れ…
5部チームが平和に旅行してるとことか、見てみたいなぁ…。
康穂ちゃんは普通にカワイイと思う。
承太郎はマッチョ感が欲しいんだよなぁ…
ブチャの手の位置は、スタプラぶち込まれそう。
露伴先生は比較的良く撮れてるな!
これから行く人はα7RIIIくらいの高画素機にSEL50F14くらいの単焦点を付けて撮影してきてください。
森永邦彦氏の作品が凄い
アーティストのコラボ作品も展示されています。どれもインパクトある展示で、自分はその中でも森永邦彦氏の作品に惹かれました。
いらすとやの力を借りて作品を再現するとこんな感じですね、うん。
この像、光を使って「見えるけど見えないもの」を表現しているのが見事です。それ以上に、2次元のポージングを見事に3次元に再現しているところが良いんですよね。
ジョジョのポージングって、人体の構造以上に曲げたり捻ったりしていて、それが等身大で立体の人物像になるとどうなるか。捻られる体のしなやかさ、ねじれているところの硬さ、捻りから想像されるばねの強さ、そういった人体の強さ、ひいては魅力ってのがグイグイ押し出されて、「あぁ、人体のすばらしさ、これがひいては人間のすばらしさ、人間賛歌に繋がってくるのかな」と、考えさせられました。
大型書下ろし原画とメイキング映像
展示の最後に、荒木先生が直々に書き下ろしてくれた大型の原画があります。
これを「オッ、凄い迫力やな!」と呑気に見て通った後に、荒木先生のメイキング映像流れてるんですね。
この中で荒木先生が大型原画を描くことへのコメント入れてくんですよ、描きながら。「大型は縦置きだから重力あるんですよ、漫画は机の上だから違うねー」みたいなこと言いながら、カーズ様の肌色を塗ったら絵具が垂れたりして、「ほらー」みたいなこと言ってるの。
そういうの見せられると、もう一回きちんと見たくなる。あの、絵具垂れてたとこどうなってんだろ?ってね。
何となく見てると表面的な感想だけ抱いて終わりがちですが、実際作っているところや、何を思って作ってるかっていうのを見てしまうと、その「何か」を感じ取ってやるぞ!って思いながら見てしまうものですね。
まとめ
ジョジョの原画展を見て感じたことを書いてみました。
漫画って、脚本・演出・作画とか、すべてが1人で行われるから作者の考えが色濃く表れますよね。ジョジョは荒木先生の考えにブレが無くて、その考えを伝えるために至るところに趣向が凝らされてるから支持されているのかなと思います。
で、ちょっと自分の話。
自分は開発系で、いうなればモノを作る側の人間です。設計する時は「0.1gでも軽くして携帯性に貢献だー」とか「スペース空けて電池容量大きくするぜー」とか、色々考えています。でも開発にはいろんな関係者がいて、時には相反するようなことになり、内部のアレコレに疲れ、いつかは自分の考えが消えていく…なんて経験を腐るほどしてきました。そうなると開発って面白くないんですよね。作らされてる感じになっちゃって。
それじゃやっぱダメで、何かを創造するってのは、何か伝えたい、実現したいものを心にもって、それに向けて真面目に何ができるかって考えていくべきなんだなと感じました。
原画展の感想から飛躍しちゃいましたが、今日はこんなところで〆たいと思います。