WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

日本のビジネスから曖昧さが消えつつある

最近、製図の幾何公差について勉強しています。

日本ではまだまだ寸法に公差を振るスタイルが主流ですが、海外のモノづくり、特にアメリカでは幾何公差が主流だそうです。幾何公差を学ぶことで、下記イメージのような利点があります。ざっくり説明しますと、寸法公差だけでは指示が曖昧で、設計者が想定した形状が出来上がらないというわけです。

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曖昧な仕事でも成り立っていた日本のモノづくり

ではなぜ日本では寸法公差が主流なのかというと、そんな曖昧な指示でも日本では物が作れていたからです。製造側が、設計者側の意図を推測して作ってくれていたわけですね。以前の記事でも取り上げましたが、日本の製造側は自ら考えて物を造ってくれます。日本の設計者はある意味そこに甘えて、自分たちに都合がいいように曖昧な部分をそのままにしていたとも言えます。お前が言うな、ってツッコミは無しでお願いします。 

temcee.hatenablog.com

海外の「製造」の前に曖昧さは危険

昔はそれでもよかったのですが、製造拠点が海外に移るにつれて、その曖昧さが通用しなくなりました。海外では、わざわざ設計の意図を汲んでまでモノを作ってくれるところはありませんし、そもそも意図を推測するスキルもありません。日本のメーカーの没落にはガラパゴス仕様など企画レベルでのお話を原因とする言説が多いですが、製造に関しても海外移転後に製造に対する意識の違いに苦しみ、世界的な製造のトレンドについていけないところがあったのかなと、設計をやっている者としては感じています。

製造の外の曖昧さ

こういった日本ならではの曖昧さは、製造以外の仕事についても多く存在していたものかと思います。労働時間のザル管理しかり、コーポレートガバナンスしかり。未読ですが野村証券のぶっちゃけ本を見るに、コンプライアンスもかなり曖昧かつゆるゆるなものだったのではないでしょうか。

近年はこういったところにようやくメスが入りつつあります。日本は古来から村社会であり、極力衝突を避けるために曖昧さが発展した国ではありますが、グローバル化の波はそんな慣習をも流しつつあります。まぁ今の世の中の骨子となるものは欧米諸国が基準になっていますし、合理かつ明確なあちら側の思想の方が馴染むのでしょう。日本人の僕としては曖昧さが無くなることに多少窮屈を感じるところもありますが、近年の日本では曖昧さが悪い方向に発揮されることが目立っていたので、総合的には喜ばしい変化なのかと思います。

曖昧さは人間らしさでもある

ただ、それでもどこかで曖昧さというのは残ってしまうとも思っています。冒頭の幾何公差についても、ある程度のところで曖昧さが残り、最終的には製造と設計のコミュニケーションに頼るところがあります。僕はそれ自体は悪いことだとは思いません。

明確な規則がありモジュール化できるお仕事は機械の得意分野です。将来的には人にとって代わる領域ではないでしょうか。最近流行の自動運転なんかは、交通ルールという明確な規則があるもんですから、センシングに関するハード的な制約をクリアできれば技術的な問題はそれほど無いんじゃないのかなと思ったりしてます。

そんな中で曖昧さが残る領域、たとえば人によってそれぞれ異なる展開をみせるコミュニケーションや、創造が絡んでくるお仕事については、現時点で自分が見てきた範囲の技術水準では、まだまだ人間に利があるのではと思います。

いろいろ書きましたが、あらゆる物事から曖昧さを排除してキチッと仕上げるのは大変に疲れます。お賃金を頂いてやるお仕事だからこそ強制力が働き、僕は何とかこなせている状況です。もっとゆるふわで曖昧さが溢れ、それでもなおかつ円滑に回っている世の中が来れば理想なのですが、もうしばらくはアメリカ的な合理と明確化が支配する世の中が続いていくと思いますので、幾何公差のお勉強を邁進していきます。