新天地に移り設計担当独り、もくもくと検討する日々が続いています。
今までのキャリアではチームで設計を行ってきたので、独りだけで全てを決める設計は初めてです。たたき台となるものも無い状況での検討なので、新雪に足を踏み入れて軌跡を描くが如くの自由さと厳しき寒さをヒシヒシと感じます。
他人の視点がない設計は怖いものです。特に自分に知見が薄い分野では。
設計を行っていると時折、「今の構造で何か見落としが無いのか、もっと良いレイアウトがあるのではないか」と不安に襲われます。別な視点からの意見があれば、それが自分と同じ方向でも別の方向だったとしても、設計完成度の向上と進むべき道への自信になります。加えて、事が起こったときに自分の精神世界では責任が分散されるので、例え社会的な責任が自分だけに圧し掛かるとしても設計を進めるうえでの精神負担が軽くなるのです。しかし、現状として設計は僕独りの体制が常であり、社会的はもちろん精神的にも設計責任は自分の両肩にかかっていると言えます。中々につらい。
自由度の高さも曲者です。僕は限られたスペースで要求仕様を満たす設計を常としてきました。物がごった返すデスクの上を整頓し片付けて辛うじてスペースを確保するが如くで、自由が制限された中でほんの少しの隙間を作り出すことに苦心する、それが僕にとっての設計でした。すべての物は形状や配置に理由があり、論理的に説明可能でした。自由度が高いとその理屈付けが難しいのです。一応コストだったり組みやすさだったりを理由に構造をロックするわけですが、必然性が薄いので都合によりロックは解除され、積み木が根元が崩れるようにすべての設計が積みなおしになったりとするわけです。
今までそれなりの期間を設計者として過ごしてきたわけで、それなりに出来るようになったと思っていました。が、設計そのものの知識もまだまだ足りてないところに、新天地特有なドメイン知識は全然な状況です。毎日コレ勉強と業務を並列している辛さがあるわけですが、「辛いんだよ~」と言い合えるチームメンバーもいないので、このブログで好き勝手書いて独り身の淋しさを紛らわせた次第です。辛いんだよ~。