WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

強さという原始的な価値観から抜け出せない

「お酒、強いですね。」

その一言で僕は蘇る。発生主が女性であるなら、尚更だ。

 

どんなに教養を積み上げても、モラルを重ねても、僕は「強さ」という価値観から逃れることは出来ていない。どんな内容であれ、褒められることは嬉しいことだ。所詮僕も「強さ」という価値観から逃れられない存在なのかもしれない。かつて自分を特別だと思っていた、過去の自分像は知らぬうちに崩壊していたようだ。。。

 

お酒に限らず、「強い」という称号はそれなりの力を持つ。どのような分野であれ強いことには一定の価値があり、それゆえに人は強さを求める。

 

「強さだけが人の価値を絶対的に決めるものではない」そういった思いは僕にもある。だがそれば、ある種の強さをそれなりに納めた人だけが口にしていい言葉だ。至らぬ身でそのことを口にする事はイタさ以外の何物も得ることは出来ない。僕も「強さが全てじゃないんだよ」と言える立場になりたい。親が金持ちで私立大に臆面なく通える立場が羨ましい。しかしそうではない。だから僕は口をつぐみ「お金持ち羨ましい(小並感)」を連呼する。この世に平等なんてものは存在しない。

 

僕もかつては誰かと何かを比較することに対して斜に構えていた。しかし今の僕は違う。変わってしまったのは、僕か、世界か。強いということは価値を持つ。「お酒、強いですね」嬉しい。そう言われると嬉しい。だから調子に乗ってしまう。悲しいことに、明日も平日だ。

 

だが明日の僕は頑張るだろう。お酒に強い僕を演じるために。諭吉タワーを僕が保有していれば、もしかしたらそのような「強さ」の価値観から逸脱することが出来るだろうか?理論のみの検証ではわからない。誰か、僕にムサコッスのタワマンを無償提供してくれなければ分からない。

 

まぁ、現実にはそのようなことは起こらないので、相変わらず僕は強さが絶対的な力を持つ世界を生きていくことになる。うーん、なかなか辛いものよ。そんなことを思いつつ、仕事に疲れた社会人を運ぶ列車は休まずに動き続ける。