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「知らんけど」という最強の呪文

自分の意見を述べるということは、どんな分野であれ勇気が必要だ。1度外に出てしまった意見は周囲に分析され、時に反論を呼ぶこともある。だからこそ会議であれブログであれ、自分の意見を積極的に述べることが出来る人は尊敬するし、僕もそうありたいと思っている。

だが世の中には便利なフレーズがあるものだ。「知らんけど」このフレーズを語尾語頭につければ、あら不思議、発言に付随してくるはずのリスクを無効にすることが出来る。「よく知らないからね」無知を装うことであらゆる反論へのカウンターになるのだ。立場や話題を選ばず万人が用いることが出来るこのフレーズ、壊れ性能と言っても過言ではない。

 

そんな「知らんけど」にもデメリットはある。発言に対する責任を放棄することで発言の信頼性、重さを失ってしまうことだ。諸刃の剣ならぬ両持ち手の剣。それはただの棒なのだけれど、世の中には自分の意見をとりあえず述べられれば満足、棒をふり回す事ができれば満足する人が存在するものだ。

 

知らないなら聞いたり調べたりして、自信をつけてから発言すればいい。僕はそう思うんだけど、「知らんけど」が使われる場合は往々にして発言者が話題に対し興味を持っていない。会話を続けると最終的に待っているのは「知らんがな」。それなら尚のこと半端な意見の述べ方をするのはよした方がいいんじゃないかと思うが……。

 

「知らんけど」、そんな予防線を張って他通り魔的に意見を投げかけるなんて卑怯だ。意見を述べることで生じる衝突に対して適宜答えろというつもりは無いが、一切の責も聞く耳も持たないぞーと表明するかのごとくマジックワードを使われては、議論も会話も進まない、弾まない。だから建設的なお話をする時は、知らないなら知らないなりに、知ってるなら予防線を張らずに、謙虚な態度で望むべきじゃないかな……知らんけど。