WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

指針なき大学生を作るのは誰か

今週配信された日経ビジネスの特集は「行きたい大学がない」というタイトルです。THE(タイムズ・ハイアー・エデュケーション)の世界大学ランキングでは次々と順位を落としていく日本の大学に対して、問題点の分析とその対策となる取り組みを紹介しています。

THEのランキングは外国人比率などが項目にありグローバル化の度合いが効いてきますので、講義が英語でなく日本語で行われる日本の大学では順位をあげるのが大変そうですね。母国語で高等教育が受けられるのはそれだけ日本の教育水準が高い証拠であり、その水準の高さが近年まで欧米と経済で張り合えてきた原動力なんじゃないかと思うところはありますが、時代が変わり日本の大学もあり方を問われる時が来たのでしょう。

ま、それはともかく原因を大学だけに求めるのが正なのかは疑問が残ります。紙面では海外のエリートは早い段階でヴィジョンを持ち専攻を決めているとあり、そこも日本と大きな違いであるとされてました。日本ではどちらかというとヴィジョンがない人はとりあえず偏差値が高いところに行っておけ、という風潮ですが、海外エリートは学びたいことがあって、そのために大学に通うんですね。この違いは大学側だけの問題ではないでしょう。

やりたいことが分からない学生

皆さんは受験生時点で、将来の展望をどのくらい描けてましたか?

高校時代の僕はあまりはっきりしたもの、強い思いはありませんでした。何となくPCが好きで可能性を感じていて、PerlやCの本を買ってコードを流しては「あんまり面白くないなー」なんてことを思いつつ、受験では自分の能力で行ける限界ギリギリの大学でシステムの学科に入りました。その後、挫折と妥協を経て、今ではメカ設計を生業としています。主体的というより流されている感じが強いです。自分のやりたいこと、通したい筋ってのが無かったんですね。

やりたいことが定まっている人は強いです。早いです。限りある時間を正しく使えますし、モチベーションも保てます。しかし高校時点で先の進路を見据えられている人はなかなかいません。「大学に行きながらじっくり探していけばいい」という意見もあるかと思いますが、やりたいことを探しているが見つけられないことと、そもそも探すことをしていないのは大きく隔たりがあります。ヴィジョンは人に与えられるものではなく自分で見つけなければいけません。

やっていること・強みが見えにくい大学

それぞれの大学がどの分野で強いのか、外からではなかなか分かりにくいものです。

僕がそれを理解できるようになったのは研究室に配属されて、学会でほかの大学の研究を見る機会ができてからでした。それも、今はもう昔の知識です。開発畑に進んだ今では、どこの大学がどういう分野で強いのかはさっぱりです。

例外は、メディアでよく見かける阪大の石黒教授のロボット工学や、近大の水産系、いわゆる近大マグロですね。世間に多く露出しているところです。

もちろん研究分野によっては世間受けしない重要な研究があるわけですが、それでも一般に向けた露出を増やして名前を売り、自分たちの研究内容やその意義を発信していくことが、今後の大学には必要なんじゃないかと思います。産学連携は、その一つの方法ではないでしょうか。

将来の進路について考える余裕のないカリキュラム

よく言われる事ですが、高校も進学塾も偏差値の高いところに学生を入れることが是とされています。これは偏差値という基準が分かりやすいのでうまく利用されているわけですが、本来ならやりたいこと、興味がある事を学び達成できるところに進めさせてあげるべきなんですね。そして、そのやりたいことを見つける手伝いをすることは保護者や教育者の仕事なのかなと最近感じます。

しかしそうは言っても受験戦争は過酷で、そんな寄り道をしている時間を許してはくれません。競いに競い、そして目標なく全力を出し切った彼らは大学に入ることで燃え尽き、学ぶことを止めてしまいます。

この風潮、どうしてこうなったんでしょうね。

犯人探しをしてもしょうがない

誰が悪い的な話をして犯人探しをしていても結局は停滞するだけで何も改善しません。*1だから僕はとりあえず、皆がみな、自分に出来ることをやっていくしかないのかなーと思います。

僕の場合はムスコに広い世界を見せ、将来について話し合うこと、自分が出た研究室の動向をちょくちょく見て、新しいものがあればそれを周りに広めていくことでしょうか。ムスコについては、随分気が早い話ですが。

まぁ、暗い話題ばかりなのも嫌ですし、日本の大学も盛り上がってくれるといいですね。

*1:どこかの移転話のように、ね