WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

エンジニアの前にサラリーマンなんだ

10年ほど会社勤めしていると自分の意志と社の方針がそぐわない事態には何度か遭遇するものだ。その度に怒りや悲しみ、無力感などのネガティブな感情を飲み込み、たまに溢れたりしつつ乗り切ってきた。とはいえ何度体験しても慣れるものではないし、どんなに身構えていても事は容赦なく襲ってくる。

気合と根性で乗り切る、は今までの自分の経験と他所で働いていた人の話を聞く限り日本の製造業ではどこにでもある事ではある。一方でエンジニアリングを無視したモノづくりは、物理法則に従うこの世界では地獄を見ることでもある。僕はやっぱりエンジニアだし、エンジニアリング的成り立ちは大切にしたい。

そんなことを思いながら悶々と過ごしていたが、ちょっとした拍子に思いがあふれてしまった。もはや若くないくせに未熟である。こんな記事を書くくらいだしね。

その思いに対して周囲から返ってきたのは大人の返しだった。「思いは分かりますが、やっぱり僕たちはサラリーマンですから、大きな決定は大切にしましょう」

僕たち サラリーマン

テレワークが続き出社しない日々で印象が薄くなっていたが、僕らはサラリーマンだった。言われてみれば当然のこの言葉に衝撃を受けた。

なんだかんだ法人が外からお金を稼ぎ、そこから僕のお給料は出ている。法人としての意思決定を尊重するのは法人の手足部隊としては当然の行いだ。

吹っ切れた。

大きな流れには思うところがあるが、一度その流れのなかで出せるだけ出し切ろう。その過程で自分の考えが間違いだったら良し、間違いでなかったとしても手足の状況をきちんと意思決定機関に届けていれば何れかのタイミングで修正が入るはずだ。どっちにしろ、やるしかないのだ。

そんなわけで優れない体調にステロイドと抗生剤を注入しつつ、エレキ部隊をはじめ多方面に負担を強いるピーキーな設計を開始した。メカ的な成り立ちに必要な設計、そのために周囲から大きな反発もあるだろうけど、いい子のままでは前に進めない。

メカもエレキも、製造もソフトも各種モジュールも、みんな平等に負担をうけて消耗する地獄。ハードウェア開発なんてどこに行っても、どこまで行ってもハードなものである。