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【書評】「アメリカ経済 成長の終焉」 GDPに表れない偉大なるイノベーション

アメリカの成長が終わるの?と驚いてタイトル買いしました。

GAFAに代表されるテック企業が端末からサービスまでのプラットフォームをほぼ独占し、移民により人口も支えられていて、アメリカは先進国でも最も隙が無い国に見えます。そんな国の成長が、何故終焉するのか。

現在のコンピューティングに関するイノベーションが1900年代の前半に起きたイノベーションに比べて重要度・影響力が限定的で、成長を長期的に支えられるものではない、というのが本著の主張です。だからアメリカの経済成長も鈍化している、というのです。

では過去のイノベーションとはそんなに大層なものだったのか?

それを、数々の統計データにより成長を説明するだけでなく、イノベーションによる人々の生活模様の変化を描きながら説明しているのが本著です。数字のみに頼らないのは、経済的指標…特にGDPにはイノベーションによる質の変化が過小評価されるからです。

移動手段である馬の糞や死骸で街は不衛生、主婦の一日は水の処理や衣服の縫製作業で終わり、男は死ぬまで労働(多くは肉体労働)に従事する、街は暗く家は寒すぎるし暑すぎる。過去のイノベーションはこれらの状況を一変させました。では今のイノベーションはどうでしょう?

1000ページ越えとなかなか重厚な本ですが、ここ100年でアメリカでの生活がどう遷移してきたかが隅々まで記載されており、経済に疎い僕でもワクワクしながら読み進めることが出来ました。新技術とはどういうものか、実感として理解できるオススメの1冊と言えます。

本著の主張要旨

  • GDPは生活の質の変化を過小評価している
  • 1900年前半の大発明が世界を変えた
  • デジタル革命は娯楽領域に集中し、生活への影響が小さい
  • 格差を初めとした逆風が経済の伸びを妨げる

1870年代の生活様相

アメリカ経済の成長を巡る旅の始まりは、1870年代の生活を想起させるところから始まります。

食品の加工・保存技術は未熟で、豚・トウモロコシ・野鳥を基本とした単調な献立が支配的だった。 電球の無い住宅はくらく、オイルのランプはしばしば火災の原因になった。 清潔な水、家庭で生まれた汚水は人力で処理が必要で、この運搬は過酷な仕事だった。 移動手段である馬は馬糞をまき散らし、いずれ死骸となり、不衛生と感染症の原因になった。

本書が記した当時の生活を1部抜き出してみました。現代の生活様式からは、いずれも想像し難い状況です。

上記の様相を一変するイノベーションは、1940年代までに大半が発明されます。現代までに斬新的な改善は有ったものの、電子レンジ・コンピューターを除けば、今の我々の生活はイノベーション直後の人々の生活と、そう変わらない状態です。

食品の加工・保存技術の進歩は献立の多用化をもたらした。 電球は安全で明るい光を家庭や街にもたらした。 上下水道の整備、ネットワーク化は貧富かかわらず人々を水の運搬という重労働から解放した。 内燃機関の発明は街の不衛生を一掃し、かつ輸送の質(距離・速度)の工場をもたらした。

1940-1970年、恐慌と戦争が成長を加速させる

電球や家庭インフラのネットワーク化、冷蔵技術、安価なT型フォードなどのイノベーションが人々の暮らしの質を向上させ、余暇を作り、平均寿命を押し上げました。

しかしその勢いに水を差す歴史的イベントが起こります。1929年の大恐慌、そして第二次世界大戦です。

ただ本著では、これら負のイベントが、後にアメリカの飛躍を実現する「助走」の役割を果たしたとしています。

大恐慌があったからこそニューディール政策で労働者の実質賃金が増加したし、大戦中には、仕事の効率化がすすみ、贅沢品への出費が制限され財が蓄えられ、製造への投資や知見の蓄積が溜まった、としているのです。

この助走があったからこそ、戦後に糧が外れたあとに蓄積した財や製造知見が爆発し、アメリカの躍進がおこった。という説は、普通なら成長という点でネガティブになりがちな恐慌・戦争への見方に違う視点を提供するもので、なかなかに興味深いです。

1970年代以降、デジタル革命は1度きりで限定的

コンピューターが発明され、Windows95辺りから一般家庭にも徐々に浸透していき、その性能は過去のどんな道具よりも早いスピードで進化していき、価格は反比例するように落ちていきました。

こうしたコンピューターの急激な進化とネットワーク技術の発展は、確かに仕事や生活の在り方に1石を投じました。どの家庭にもネットワークに繋がるコンピューター(PCが無くともスマホはあるだろう)を保有しており、ネットワーク上のあらゆる情報にアクセスできます。

しかし、そのコンピューターの成長への寄与は限定的で、2004年までに大まかな改善が行き届いてしまい、以降は生産性に大きく向上できていません。

携帯端末の進歩によって、人々の生活様式に変化があったのは事実ですが、その進歩の大部分は娯楽に関するものであり、過去のイノベーションのように、人々の苦難を取り除く類のものではありません。

また、コンピューターにより多くの職が消えていきましたが、失業率はというと、改善し続けているわけです。効率化が進んでいるのに雇用が増えているのはなぜか?

この問への回答は、恐ろしいものがあります。

コンピューター時代の問題、それは大量失業ではなく、良質で安定的な中韓レベルの職が消えていくことです。中流が消え、一握りの上位層に富が集中し、多くの下位層が生きていくために苦労が必要になる未来。

ロボティクスやA.I.といった、いま流行りの技術も、こうした傾向を加速させる要因を持ち合わせています。人間の感覚と運動神経を必要とするような、物理的で複雑かつ単調な仕事は今後も残るものの、簡単ではないが具体的であるような中間の仕事がどんどんロボットやアルゴリズムにとってかわられる。これは、ちょうど中流に位置している僕のようなエンジニアにとって、厳しい時代の到来を予感させるものです。

過去のイノベーションは人々の生活を幸福にしました。コンピューターはどうでしょう?確かに成長を一時下支えするポテンシャルはありました。しかし、紙がモニターに代わり、ペンの代わりにキーボードとマウスで仕事するようになった今でも、朝から晩まで、週5日働く生活は過去と変わりないでしょう。そういう見方をしても、コンピューター革命は過去のイノベーションに比べて重要性が低いといえるのかもしれません。

まとめ 

成長の終焉、という題から察することができますが、本書の最後にはアメリカの成長を減速させる逆風について触れてあります。それは何もアメリカだけに限った内容ではなく、今の先進国全てに共通する問題に見えます。

そもそも、今まで述べてきた内容も、多少の時間軸のズレこそあれ、日本にも通用する内容と言えます。読み込めば、今後の社会を生きるうえで、技術というものが生活をどのように変えていくのか、を真剣に想像できるようになるかな、と思います。

本著は、内容も分量も圧倒的で、正直一通り読んだだけでは拾い切れていないこと、一度読んだが抜けてしまったことが多くあります。

特にコンピューター革命の章は最後の方で息切れしていた感もあるので、ちょっと軽めの本を読んで頭と読書のテンポをリセットし、もう一度読み直ししたいです。

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