WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

ゲームの攻略本が好きだった

それは昔の話。ゲームの主役がスーファミとかプレステくらいだった頃の話。

 

ゲームソフトは高く、僕の収入はちょっとばかりのお小遣いだけだった。そんな僕にとってゲームソフトの購入は今日における投資銘柄の選別と同じくらい慎重に為さねばならぬインシデントだ。

 

しかしソフトを買わずともゲームを感じ、楽しむ方法はあった。攻略本だ。

 

当時の攻略本はピンキリだ。アルティマニアみたいなガチ攻略本があれば、全く攻略してない薄い本もあった。僕は薄い本を好んだ。

 

中途半端な情報は、僕にゲームを想像させる余地を与えてくれた。

序盤の雰囲気、キャラクターの性格や性能、イベント…。その中には攻略に必要ない筆者の私見も多分に含まれていた。純粋に攻略を行う上では必要ない情報だ。しかし何故か印象に残っている。

僕と同じ時代を生きた人なら、スパロボ攻略本での五飛弄りにニッコリしてしまう人もいることだろう。ポケモン本のブースター弄りもしかりだ。僕はああいうのが好きだった。

 

何故、実際の役には立たない情報に喜んでいたのか?当時の自分には余裕があったんだろう。実益に繋がらない情報にこそ個性が宿るものだ。人の考え方、多様性、それらをひっくるめた「遊び」。そういったものが面白かった。少年時代とはそういったものだったんじゃないかと、今は思う。

 

翻って、今の自分を見つめて見る。

 

効率良く仕事をこなすことを目指し、効率良く資産を殖やす事を目論み、効率良く学習することに励み、効率良く子供を育てることを望む。

 

効率、効率、効率。私見よりも多くの知見からなる効率性を重視し、自身の行動を修正する。いつからそのように振る舞うようになったかは覚えてないが、今の僕の根幹にある思考は効率性で、僕の仕事には遊びの要素があまりにも少ない。自身を振り返ってみて、その余裕のなさに愕然としてしまった。

 

しけし、僕はもう元には戻れない。その実感がある。悲しいことだ。

 

今でも僕はゲームをやっている。自由度の少ないケータイゲームだ。ネットに転がる集合知たる効率的な情報を見ることで、タダでさえ少ない自由度をさらに狭めている。ほとんど作業だ。ポケGOも、いつしかブースターよりカイリューを率先して育てるようになってしまった。

 

僕は攻略本が好きだった。今はもう、当時のように個人の思いを楽しむことは出来ないだろう。いつの日か、自分の中で再び「遊び」が効率性を上回るようになれば…。

そんなことを考えてしまう、定時退社日の帰り道。