WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

権限無しに責任だけ負わすのはアンフェアだろ

豊洲の問題のグダグダした感じがたまらない。

所詮外から得られる情報なんてものは報道のヴェールを通してしか得ることが出来ず、真実を追求することなんてできない。そもそもこの話題に関して根底たる問題が何なのかすらアヤフヤな感じがして僕は混乱している。実際に害があるレベルの話なんだっけ…分からない。神奈川県民たる僕にはそもそも関連すらないのかもしれない。

話がズレた。こういう「責任を取らせる」的な話が出ると僕はどうも引っかかってしまう。日本の組織の意思決定機関は絶対強者の一声よりも多数の関係者で議論を尽くし、リスクをシェアして責任を分散した全体的な雰囲気感であることが多い。こうした議論を尽くす作業というのは余計な工数を産む苗床だっていうデメリットはあるが、ハードルを分散することで個々人の度量を超えた意思決定を行うことが出来る大きなメリットがある。度量は才能によるところが大きく、そのため度量を後天的に嵩上げできるこの意思決定機関には間違いなく価値あるものだと思っている。(材料集める立場からすると煩わしく思うことも少なくないけど)

この偉大なる意思決定機関の前提としてあるのが痛みをみんなでシェアするところで、そのための条件として個々の権限は弱まり独裁が出来ないことがある。だからこそ何かあった時に組織の代表たる長を除き重責を被せられる人はいてはいけないというのが僕の思いだが……世の中はそんな綺麗事で成り立っている訳では無い。

これは冒頭に紹介した豊洲の事例にだけ言えることではない。かつていた組織で大きな品質問題が起きた事があった。組織に対して少なくない損害を与えたその責を負って、僕の直上の上司は別の部署へと飛ばされていった。問題となった箇所は開発部門内でも上司より上位の存在にインプットされていたものだし、品質保証部門のお墨付きまで得たものだった。そこに至るまでには多大なデータと多くの人との折衝・議論があり、最終的に議論を尽くして最終形に辿り着いたもので、そこにはもちろん上司1人で思うようにできる余地などなかった。そんな権限などなかった。

そんなこともあって僕は劇場型よろしく人受けのいいギロチンショーは嫌いだ。不正で有名な自動車会社でも開発遅延とかで部長の首が飛んでたりしたが、日本企業でそれは異様じゃないか?飛ばされた人にどれ程の権限があっただろうか。飛ばすに容易く、それでいて重みのある首…そんなチンケな理由で、見せしめのように課長部長クラスが冷遇されていたのでは、その地位を目指す者がいなくなってしまう。

大いなる力には大いなる責任が伴う。しかし権限を与えることなく責任だけ取らされるようなアンフェアな環境って、僕は嫌だな。