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子の大腿骨骨幹部骨折に関する対応まとめ

子が骨折してから3ヵ月経ち、完全ではないものの歩けるようになった。借りていた車椅子を返して広くなった玄関を見ると、ようやく一区切りした実感が湧いてくる。

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このことを忘れないよう、この記事をもってやってきたことの記録を残しておく。

病院まで

怪我をしたと連絡を受けて駆け付けると、子は身体は全く動かせず、車椅子も難しい状態。片方のふとももが明らかに太く、短くなっていた。自家用車で最寄りの病院へかけこみ、痛がる子を何とか移動させてレントゲン撮影。大腿骨骨折と確定。その後、救急車で大きい病院へ。僕にとって初の救急車だった。ちなみに、この1ヵ月ほど後に嫁さんが倒れて、2度目の救急車に乗ることになる。僕がこの時期に受けた胃カメラでは、大いに胃が荒れていた。

病院到着後は再度レントゲン。麻酔無しでの実施で、ここでも子は痛みで大いに荒れた。そのまま入院。すべてが終わった後、子は消耗しきっていてすぐに眠りについた。

入院

入院直後は骨折した側の足を牽引。上体は全く起こせず。食事の時は痛がらない範囲でベッドを起こして、僕ら介助者が食べさせた。トイレが過酷で、差し込み式のものを使うも尋常ではない痛がり方をするため、しばらくはおむつ(テープ式が吉)に頼った。(それでも滅茶苦茶痛がっていた。

着替えも下半身は大変だったため、基本は大きめの甚平を上に着せて下は履かせないようにしていた。病室が暖かかったので、日々の生活には支障なし。

付き添いは夫婦で交代で実施、最初のうちは休みをとって朝から夜20時までフルに付き添い。ある程度直ってきたら出社後に早退して夕方から20時まで付き添い。

動けない時期は漫画やSwitchが主な日々の過ごし方。上体を起こせるようになると学校のタブレット、公文、市販のドリルなど学習も追加。お絵描きやアイロンビーズなども。

術後しばらくして車椅子移動したりトイレに行けるようになるとグッとQOLが向上した。

手術か保存療法か

先生から提示された治療方針は手術か保存療法か。子供は回復力が強く骨折の治癒が早いが、小学3年生くらいになると幼児期に比べて遅くなっており手術をするケースが増えているとのこと。

手術の場合。

  • 自然治癒よりも骨折部が正確に治る
  • 動けるようになるまでが早い(術後からある程度動く)
  • ギブスが必要なく筋力の低下や関節の硬化が自然治癒より軽い
  • 入院期間が短い(うちは1ヵ月程度)
  • 切開することのリスク全般
  • 傷跡が残る
  • 完治後にプレートを取り出す手術が必要

保存療法の場合。

  • 完治時に許容範囲内で変形などの懸念はある(回転方向が特に難しいらしい)
  • 動けない時間が長く、完治までも長い
  • 激しい痛みが生じる期間が長い
  • 入院期間が長い(目安3ヵ月だったか)
  • 手術に関わるリスクが無い(感染や出血など)
  • 傷跡が残らない

いずれも骨折部が過成長で長くなる傾向があるのは変わらず。

先生からはどちらも長短あり正解は無い。ただ自分の子だったら手術を選ぶ、と。僕ら夫婦はきれいに直すことを第一に考えた。これは傷跡のことではなく、完治後の足の形や運動能力について。そして手術を選択した。

入院時のリハビリ

上半身のリハビリと下半身含む全身のリハビリを、それぞれ別の理学療法士の先生が担当された。

動けるようになるまでのリハビリはベッド上で実施。上半身のリハビリはゴムバンドを使った腕の筋トレと、ボールを使った握力の筋トレ。全身リハビリはボールを投げたり風船をポンポンしたり、後は折れた方の足を伸ばす練習。関節が固まっていたのか、足が完全に伸びるようになるには1ヵ月くらいかかった。

術後しばらくして状態を起こせるようになるとリハビリルームで片足ケンケンや松葉杖、歩行器の練習を開始した。

松葉杖

入院期間中に練習したものの、まだ危ないということで利用せず。そもそも子は身長が低く、サイズが合う松葉杖が無かった。

車椅子のレンタル

市の社会福祉協議会からレンタルした。レンタル自体は無料で、利用のために協議会への登録が必要だった。年会費は500円だけで3ヵ月近く借りられたので大変ありがたい。

家の中での移動

退院して2ヵ月、体重をかけてはいけない期間があった。その間の移動は所謂お尻歩き、ないし歩行器を用いた片足移動。歩行器での移動の際は大人が後ろからサポートし、何かあったときは支えられるようにしていた。こなれてきた頃、一度目を離したすきに転倒し、整形外科に駆け込む...というヒヤリとする一幕もあった。油断は禁物。

歩行器のレンタル

ダスキンヘルスレントからレンタルした。要介護認定がないと介護保険は使えないので費用は自己負担、2500円/月ほど。身長の半分くらいの高さのものがちょうど良いらしい。

退院後のリハビリ

退院直後は足が延ばせていなかったので毎日シャワー後に足を伸ばす練習。膝裏が床から何センチメートル離れているか、を毎日記録して進捗を可視化した。記録更新は本人のモチベーションに繋がった模様。

後は出来るだけ歩行器を使って左足の筋力upと体力up。車椅子も危なくない範囲で自分で動かせるようにした。

荷重OKになってからは極力歩いて移動、椅子に座って足を伸ばしたまま保持(ふとももの筋トレ)を継続。まだ右足だけで身体を支えるのに抵抗があるらしく、歩くときに左足をあまり前に出せず引きずったような歩き方になる。早く普通に歩けるようになるといいな。

学校

車椅子で登校。教室は3階かつエレベーターが無い校舎だったので、学校の先生方と協力して子を支えながら階段を上らせ、車椅子を運んだ。先生方には毎日お世話になり、ありがたい気持ちしかない。トイレも先生の介助あり。申し訳ない。こういった支援を通して公共施設のアクセシビリティの重要性を実感した。

送りは基本的に僕が、迎えは僕ないし近くに住む祖父母が行った。出社回帰の流れが来ていたが、ここは事情を説明して融通を利かせてもらえた。大変ありがたい。

歩けるようになったものの、階段は不安が残るので今も送り迎えは継続中。どのタイミングで送り迎えをやめるかが結構悩みどころである。

学童

一人で自分のことを行えるようになるまでは無理、なのでしばらくお休み。市役所には休会届を出した。病院の先生の診断書が必要で、記載内容に学童に行けない理由とその期間を明確に記してある必要があったりで大いにモメた。リハビリ中でも学童来れる子は来れますよね、的なことを言われるなどね。担当者により言ってることが変わって、さらにモメた。休会要項の解釈が複雑だった。

まとめ

病院の先生方、学校の先生方、レンタル関連の職員の方々、代理で出張をこなしてくれる同僚。色々な人に支えられ何とかここまで来れた感があり、大変な感謝の精神をもって毎日を過ごしている。

子のふとももについた手術痕を見るたびに、何とか発生を防げなかったのかという後悔とやがて行う2回目の手術が想起されネガティブな気分になってしまう。終わったこと、選択したことはしょうがないのだが、人間そう簡単に割り切れるものでもない。とはいえネガティブな状態で日々を過ごしてもつらいことしかないので、出来るようになったことに目を向けつつ完全治癒後にしたいことを想像するなどして、出来るだけ生活の彩を失わずに過ごしていきたい今日この頃。

ちなみに、入院中の子はよくスプラトゥーンをしていた。手術に行くときも手術室に入る直前までプレイしていた。子がここまで頑張れたのはゲームによるところが大きい。任天堂には深く感謝している。