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あの頃、僕たちはiPhoneもAndroidもぶっ潰したかったんだ

それはそれは昔の話、iPhone一辺倒だったスマートフォン市場にAndroid機が挑戦を始めた頃の話。携帯とPCの垣根が揺らぎだし、PCのうち「消費者」的な機能が携帯へと輸入され始めていた。その流れを受けて某社ではAndroidでも、もちろんiOSでもない新たな勢力を打ち上げようと、あるプロジェクトが動いていた。

携帯にPC的な機能を付与するのではなく、PCを携帯的な使い勝手にすれば…。

その製品思想を元に、PCのCPUを保有しWindowsとSymbian(いわゆるガラケーのOS)の両方のOSが動く、デュアルOS携帯電話の開発が始まった。PCの開発部隊に所属していた若き日の僕は、唐突にこのプロジェクトにアサインされた。

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迷走する試作機

言うまでもなくチャレンジングで無茶な製品企画だった。ソフト・電気・メカの全ての分野において困難な課題が山積みだった…残念ながら、僕に語れるのはメカの範囲のみだけどね。

僕がアサインされた時には、既に試作を何度か経たあとだった。試作機は通常の開発だと試作1→2→3と名称が変わっていく。それぞれの試作段階に達するにはある程度の条件が必要で、例えば評価項目のうち5割をクリアしてないと次の試作に進めなかったり、外観が最終仕様になってないといけなかったりした。

僕が初めて手にした試作機は「試作1.2.1」。試作1ではソフト・電気・メカの全分野で箸棒の評価結果しか出ず、改良版として試作1.1を作ったもののダメで、さらに改良した1.2を作った後に、更にメカのみの改良を行ったものが試作1.2.1だった。書いてて自分でもよく分からない。そのくらい開発は暗礁に乗り上げていた。

致命的な問題

メカ部隊は大量の大きな問題と、下記の3つの致命的な問題を抱えていた。
落下やばい:「落下で基板の実装物が破損する」
熱やばい:「Windowsを動かすと製品の表面温度が低温火傷する温度になる」
ヒンジやばい:「スライドヒンジが液晶を持ち上げられず規定の耐久回数もたない」
どの問題も本当にどうしようもなくて、担当者はみんな朝から終電まで必死に対策を検討していた。 僕は落下やばい対策を検討するよう振られた。

超法規的処置

落下の対策はトライアンドエラーの、ひたすら泥臭い作業の繰り返しだ。

落下衝撃自体は位置エネルギーmghで決まってしまう、そのエネルギーを基板など致命的な部品に伝わらないようにし、他の部品に均等に振り分ける構成にするのが落下の対策だ。基板の実装物が破損しているなら、周りに緩衝剤を設置して衝撃を緩和させてやれば良い。ただし今回について言えば、製品があまりに重く、緩衝剤を設置出来る程大きくは無かった。何より、携帯電話の使用想定の高さからの落下に耐えるPCというものの設計ノウハウが無い事が問題だった。

あらゆる緩衝剤を試した。基板実装物にもエポキシ系接着剤を塗布して強化を図った。周りの構造物の形状も、基板に負荷がかからないようあらゆる形状を手作りで作り試した。にもかかわらず結果は芳しく無かった。長時間の残業と休出の果てに僕たち落下やばいチームが辿り着いた結論は「無理」。敗北宣言だった…。

普通なら敗北宣言が出た後はプロジェクトが中止になるか、製品外形を拡大して貰ったスペースで何とかするものだけど、このときは違った。雲の上の人達が超法規的な処置を発動し、評価する落下の高さが下がった。位置エネルギーはmghなので、高さが下がればそれだけ衝撃は弱まる。ゴールが僕らを迎えにくる形で、なんとか僕たちは対策を成し遂げた。ちなみに、高さの緩和はどの程度かというと、通話時に耳に当てる高さを本来の高さとして、タッチ操作する高さまで下がった。理屈としては、携帯を落とすのは通話するときよりタッチ操作をする時だろうというものだ。

壮絶な人体実験

落下やばいの目処が立ちそうになったものの、相変わらず他の問題は炎上中だった。次はWindows操作時に爆熱やばい対策をすることになった。

何故爆熱になるのか?当たり前だ。携帯サイズにPCのCPUをぶち込んだものだから、熱の行きどころがないわけだ。当然だけどファンも無い。スロットリング(CPUのクロック数を下げる処置)を入れると、動作の遅さが実用に堪えないレベルになる。生まれる熱に放熱が全然追いつかない。

結論からいうと、爆熱やばい対策も超法規的な処置で決着がついた。ただし「実使用で危険が無い事」の証拠が必要だった。そこで証拠作りのために、僕に白羽の矢が立った。

証拠作りは落下以上に泥臭い作業だった。ストリーミング動画を再生しながら一定間隔で別窓のブラウザを更新する。これを熱的にサチるまで何時間も繰り返す。サチった時に僕が火傷をしていなければ、勝利だ。書いてて思うが、何とも酷い評価だ。当時の僕も「こんな事をやるために開発に入ったのでは…」と疑問を抱えながら動画を再生し続けていた。だけど頭を使わない作業なぶん、精神的な負荷は低かった。そんなわけで、心身ともに限界にあった「ヒンジやばい」部隊の人の作業を肩代わりすることもあった。だからある日、「ヒンジやばい」部隊の1人が「あとはお願いして良いですか?」と僕より先に帰宅したときも、試作機の片付けと評価場のクロージングを代わりにやった。翌日、僕はこの発言の真意を知る事になる。

再起不能(リタイア)

「彼は今日は来ません、明日からも来ないと思ってください、詳細は言えません」

上長から、そう告げられた。再起不能(リタイア)…。ヒンジやばい問題は、他の問題と一線を画すやばいレベルだった。熱やばい問題が片付いた事でチームリソースは全てヒンジやばい対策に振られる事になった。

百を越える試作の果てに液晶部分を持ち上げるバネ力と規定の回数を耐える耐久力を持つヒンジに辿り着いた。しかし、恐ろしく歩留まりが低い、およそ量産に耐えられる設計ではなかった。しかし僕たちに時間はなく、選択肢も無かった。

そこから先は総力戦だった。設計の範囲を超えて製造の現場に踏み込み、最終的には設計チームでヒンジの矯正・選別を行った。製造を委託しているベンダの下請け工場まで出向き、一品一品を設計者が選別、NG品は他のメンツがペンチでもってプレスの曲げ確度を補正し、再度選別行き。これを数週間続けた。異常な光景だった。

製造委託先以外の者が部品製造に関わると責任の所在が不明になる。だから普通は現場の監査まではしても、製造までは踏み込まない。そのタブーを侵したことで、裁判沙汰になったやらならなかったやら、きな臭い話を聞いたものだけど、末端の僕には詳細な情報が降りてこなかった。

夢の終わり

開発に関わった皆が死力を尽くした。メカは途中リタイアが1人でただけでなく、リーダーがプロジェクト完遂後に数ヶ月出社拒否状態になった。それほど壮絶な開発だった。それまでして成し遂げたかったのは、iPhone、Androidの打倒…。結果がどうなったのかは,言うまでもないだろう。

何がダメだったのかなと思い返す事がある。恐らくコア技術が全て外部にあった事なんだろうな。MS製のWinsowsをIntelのCPUで動かす。その時点でハードウェアのスペックに制限がかかり、UIの自由度も無くなった。もしOSレベル、プラットフォームレベルで1から作り切る力があったなら、製品の佇まいも大きく異なるものになったんだろうな。

こんな事を急に書きたくなったのは、年末の空気感にあてられたからかな。思い出深い某社は製造部門を切り捨ててしまった。こんなプロジェクトがあった事も、当事者以外は忘れていくだろう。僕の記憶も年々薄れていく。だから完全に消える前に、残しておきたくなったんだ。

 

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