地元の同期Aが結婚し、同期Bには子供が産まれた。そんなわけで僕たちは地元から遠く離れた、狂った街TOKYOで久々に落ち合い語らった。
めでたい二人と比べて今一つパッとしない僕は、最近読み聞きしている自己啓発・ビジネス本の教えもあり、あまり自分から話さず、いわゆる「聞き上手」に徹しようとした。だが二か月ぶりのアルコールは、乾いた体には劇薬だった。なんか色々話しちゃったね、ほんとごめん、という思いはある。
で、話の内容。
僕たちは明るい未来だけを語るには過去を重ね過ぎた。実際、未来の話も多少はした。新婚生活の話。転職の話。子供の話。それらはポジティブで、活力を与えてくれる話題だ。
しかし十分に成長し伸びた枝が重くなった大人たちには、ときおり過去を振り返り根っこを固めることもまた、重要なのである。つまり、此度の飲み会は昔話が盛り上がったのだ。
語られる過去は青春の時代。僕たちが世紀末真っ只中にいたころの話だ。
僕のいた中学は荒れていた。最悪、というレベルではなかったが、校内にはタバコの吸い殻が打ち捨てられ、特攻服を着た不良たちがバイクで廊下を駆け回る程度には荒れていた。同期A・Bの中学は最悪レベルで、学校には警察が度々パトロールに来ていて、校舎のガラスが毎日割られ、まともな精神の学生はボコられて骨を折られていた。もはや不良を超えて反社だ。
それはまさに世紀末で。北斗の拳との違いは、世紀末救世主が存在したか否か、という点くらいだろう。当時の毎日は僕の人生の黒歴史で、未来は暗黒に閉ざされた思いをしていた。
そんな過去も、今となっては笑い話になってしまう。時の流れというのは本当に恐ろしい。
「どんな経験も、何らかの糧になる。」というポジティブな考え方もある。実際に学びはあった。「人は分かり合えない」「近づかない方がいい世界がある」という学び。
それらの学びがあるから、僕は満員電車にも揺られるし、心身共にタフな仕事にも耐えることが出来る。まともな場所で、まともな教育を受けさせたい。子供を魔境に送ることを思えば、東京で消耗する方が万倍もマシである。こうした個々人の親心がマクロ的に見て、格差の拡大につながっていくんだろうが、今の教育システム上、しょうがない。
どんな思い出も時が経てば笑い話になる。これは本日の学びである。ただし、笑い話=良い話ではない。酷い思い出は、笑い話になっても酷い思い出だ。