WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

成果報告という儀式とそれでも大切な目標設定

昨年度の実績を振り返る時期だ。

自分で目標を設定し1年の終わりに振り返る一連のスキームは多くの会社で取られている手法だが、若かりしときには謎の儀式としか思えなかった。行った実績をそのまま評価してくれれば良いのではと。

そんな僕も長い社会人生活の果てに、他人の仕事は案外見えないことを学んだ。また自分の仕事ぶりは嘘のない範囲でドラスティックにしたほうが良いとも。淡々と実績を述べた時に「元気がないから」と評価を落とされた経験は確かに僕の血肉となっている。

そんなわけで僕は昨年度の難しい判断、決断の連続だった実績を大いに語った。DRでコメントしたからと特許の発明者欄に名前を載せるよう要求してきたかつてのボスから学んだ大胆さのなせる業だ。非常に深い業だ。

以上のようなことがあるので人の仕事ぶりと同様に、自己申告による実績は見えにくい。そうでなくとも実績とは割り振られるプロジェクトガチャの側面が強い。

一方で目標を設定すること自体は良い。たいていの仕事は自分でコントロールできる所が少ない。スケジュール、仕様、優先順位、、あらゆる条件が顧客やボス、その他の謎の力で決められていて、指針無く過ごしていると気が付けば上流から流れてきたものを飲み込んでは作業のようにアウトプットするだけの日々になってしまう。だからこそ何かしら自分でコントロールできる要素を自分の意志で組み込むのだ。人からやらされている感あふれるよりも自分でコントロールできる箇所を意識して日々過ごすほうが張り合いがあるだろう。

今年度、僕もさっそく目標を据えた。1日1日頑張りながらも楽しみを胸に積み重ねている。4月中にあと14点、目標に向かい1つずつ歩を進めている。僕はいま満足している。