WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

30代前半の僕のネット観

ネットは変わった。僕が学生をしていた2000年前後、僕にとってネットとは個人が主体であり、一部の人が金よりも自己顕示欲に創作欲、他者との交流を目的としてコンテンツを作り、それをその他が無料で消費して楽しむものだった。現在は企業が主体となり誰でも簡単にコンテンツを作れるようツールが改良され、ついでに収益も見込めるようになったことで多くの人がコンテンツ作りと消費の両方を行うようになった。

 

お金が介入することでより洗練されたコンテンツが増えた。それ自体は歓迎すべきことだし、ネットでのビジネスが拡大したことで利便性も経済も大いに発展を遂げた。僕もその恩恵を十分に受けているし、その進化に文句はない。ただその過程で力を失いつつある愛すべきネット文化もある。粗削りでバカバカしくて個性あふれるコンテンツ、そしてネットがかつて持っていたアングラ感だ。

 

 

まずは前者。ブログとかは顕著だけど、よりアクセスを稼ぐ、作品を良く見せるための手法が一般的に公開されて量産型コンテンツが増えた。今では無料ツールも優秀で、それを利用しちょちょいとググっていればある程度のコンテンツを簡単に作ることが出来る。熱意・才能ある人ならばそこからさらに発展したものを作ることが出来るだろうがが、コンテンツ作りの敷居が下がったことで創作参加者が増え、コンテンツの総数が大きく増えてしまった。本当に光っているものはメジャーになるというが、メジャーにはならないもののピンポイントなコンテンツ、いわゆる僕好みのコンテンツを探し当てるのは困難になってきたと感じる。とはいえ、まだ●夢動画など、かつて僕が好きだったFlash動画を思わせるくだらなくて素晴らしいコンテンツは無くはない。ブログだってフミコフミオさんのように個性と文章力を武器に全く関連の無い個人の人生をいちコンテンツに仕上げている方もいる。フミコ先生のブログについては、残念ながら僕は女子大生じゃないのでターゲット層ではないが、こういった僕にとって楽しい愛すべきコンテンツは全体からの割合としては減っているもののまだまだ現役で沢山ある。ただ後者の方はどうだろうか。

 

後者、アングラ感。こちらはもうほとんど感じられなくなった。僕が世間を知らない学生なのもあったのかもしれないが、かつてのネットには底知れない魅力というものがあった。2chも当時の僕からすると理解が及ばない、ちょっと危険を感じる掲示板であったし割れ物を扱っていたといわれる各アングラサイトなど、今に比べるとグレー(今では完全に黒)というか怪しいと思われるコンテンツが多かった。僕はそれらを怖いと思っていたが、同時に怖いもの見たさというか、ちょっと冒険心をくすぐる何かがあった。

 

その冒険を支えるのはかつての僕のマシン、SOTEC製Window Me搭載 PENⅢ1.4GHzという前世に大罪を犯したかのようなマシン、回線はケーブルTVで接続料はなんとか固定、しかし遅かった。このスペックのマシンでは今のように色々なコンテンツを快適にブラウジングすることはできず、画像1つ表示するのに苦労していた。ブラクラを踏んではクラッシュし、何もなくてもIEはダウンし、PC自体がしばしば故障した。その都度、僕は見果てぬアングラサイトなどの怪しげなサイトのことを思い、知識を付けて罠を回避し、PCのエラーを解除し、親の視線を気にしながらネットの冒険をしていた。最寄駅が山の向こう側というクッソ田舎に住む青年だった僕にとって、それがどれだけ刺激的だったか理解いただける人がいるだろうか。

 

今のネットは多少グレーなところもあるけど、法や企業による目が厳しくなり、以前に比べてクリーンになった。お金が関わるところはちょっと怪しいところはあるけど、それはかつて僕が体験していた「何があるかわからない」という未知なものではない。ネットはより身近になり、ユーザーライクになった。

 

僕は今のネットも大好きだ。タメになる情報は探せばすぐ見つかるし、洗練された絵や動画なども溢れるほどある。ただネットは変わったというのは僕が感じるリアルだ。発展途上のものから成熟したものへの変化。それは素晴らしいものだけど、僕がかつてネットに感じていた発展していく感じ、あれがもうないのかなと思うと、ちょっと懐古の情がわく。