WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

鉄血ガンダムと炎上プロジェクト

結婚してからアニメを見る機会は昨今の原油価格くらい暴落したが、そんな僕が見ているアニメ、「鉄血のオルフェンズ」。最近は消耗戦でガンガン人が死んでいって(主に主人公側の鉄華団が)、それでも犠牲になった者達のためにも目的を達成する~!っていう流れになってて、何かデジャブを感じるなーと胸につっかえていた。ようやくその正体がわかった。失ったリソースを無駄にしないために我武者羅に目標に向かう様子は、僕が今まで見て来て触ってきた炎上プロジェクトそっくりなのだと。

 

失ったリソース…お金や時間は不可逆だ。プロジェクトが炎上して現在進行形でリソースを焼き尽くしていても、失ったリソースを考えると撤退という判断を下すのは至難の業だろう。「私の行動の所為で多くの犠牲が生まれました、しかしだからこそ私はもう立ち止まれない」鉄血ガンダムのヒロイン、クーデリアは敵MSの前で凛々しく啖呵を切った。止まれないという感じ、この状態こそが炎上プロジェクトの本質である。課員はプロジェクトを何とかしなければいけないという危機感を共有し目標に向かってひたすら愚直に行動する。それはさながら犠牲を恐れず戦う鉄華団だ。こういった集団では、どこから来るのか絶対に成し遂げるという強い意志が発生し、それはもう個人では抗うことができない。この強い意志は悪いことばかりがあるわけじゃない。リソースの一極集中を可能にし、普段以上のことを成し遂げさせる力はある。鉄華団は立ち上げ時は子供たちばかりで実績もなければ大きな力もなかったが、強烈な意志力に裏付けされた大胆な行動で大きく発展できた。しかしこの強力な意思はしばしば明確かつ短時間に成果が出る方向に向かってしまい、それ以外の選択肢をとることを除外してしまう。
 
個人が盲目になるわけではない。個が冷静な視点で集団の行動を間違えだと判断できても、なお集団の意志に背くことはできないのだ。この点は鉄血ガンダムでも描写があって、個の存続より集団である鉄華団の繁栄を優先していることに対し、大人の視点から「間違っている」「でも止められない」というシーンがある。そう、分かってても止められないんだよね。これは日本特有の全体主義というやつなのか、はたまた諸外国でもこんな感じなのか。
 
炎上プロジェクトにアサインされると、個人のレベルではどうしようもない。炎上した時点でプロジェクトとしては失敗、おそらく根っこの時点で問題があるからだ。そういった中で個人が何をするべきかというと、自分自身の生き残りを考えることと、今後繰り返さないようにどうすべきかという所見を得ることだと僕は考えている。炎上の果てに自分自身も燃やし尽くされるのは悲劇でしかなく、同じことを繰り返してしまうようでは、それこそ犠牲になったリソースが無駄死にでしかない。
 
鉄血ガンダムはそろそろ最終回。多くの犠牲を払った先、鉄華団にどんな報酬がまっているのか、その報酬は犠牲を払ってまで得るに相応しいものなのか?本当に望んでいたものなのか。正直なところ、今の流れからハッピーエンドになる絵は浮かばないが…。物語は〆ることで完成する。たとえ悲劇的な結末になったとしても、生き残ったキャラは何かを得て、二期とかで成長した姿を見せてほしい。あるかどうかは分からないけど、ガンダムだしもっと続くでしょ。