WICの中から

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いつかまたミュウツーでふぶき対戦を

旬の話題にポケモンの話題が出てた、懐かしいので僕とポケモンの思い出を勝手に振り返ってみる。

 
ポケモンとの出会いは小学生の時だったか。世間的に流行り出してから興味を持ったため、田舎たる僕の地元周辺のゲームショップでは売り切れ続出。親と遠出した時に偶然発見して購入できたのは幸運だった。買ったパッケージはもちろん赤。リザードンとフシギバナならどう見てもリザードンの方がカッコいいでしょ?

 

しかしリザードンに憧れた僕を待っていたのは苦難の道だった。最初のジムが岩タイプで辛かったのもあるが、本当の苦難はゲーム外にあった。緑を持っている友達がいない…。これはかっこいいもの好きな小学生にとって必然だった。小学生の頃はみんな自分に素直だった。かっこいい方がいい…皆がそう思った結果がオールレッド。しばらくすると二台目として緑を買う子供がいたので事なきを得たが、周りを見ず自分のテンションだけで行動することの恐ろしさを知ったのはこの時だったな。
 
ポケモンが画期的だったのは通信を積極的に使うよう設計されたシステムだった。協力しなければ150匹揃わない図鑑、一度クリアすると経験値としてしか価値のない貧弱な四天王その他。これらのおかげで友達との通信交換や対戦が大いに盛り上がった。
 
ある程度時間が経つとどこから伝わったのかバグ技も広く知られるようになり、僕達の手持ちは最強ポケモン・ミュウツーLv100×6で完成するようになった。当時は状態異常こおりが即死と同義だったため、繰り出す技はふぶき一択…皆でミュウツーを出し合ってはふぶきを出し合い、先に凍った方が負けるという不毛な運ゲーを繰り返す毎日。さすがにミュウツー×6はやりすぎだと同ポケモンを禁止するローカルルールを作ったが、やはりミュウツーが群を抜いて強く、最終的にはミュウツー同士でふぶきをぶつけ合うことが多かった。こうして思い返すと短調な対戦だったが、友人達と盛り上がりながらのゲームは、なんとも言えぬ楽しみがあった。
 
時は流れ中学に入ると金銀が出た。しかし僕達はポケモンをやるには年を取りすぎであり若すぎた。時は思春期、小学生の時に楽しんだゲームをやるのに抵抗がある年頃。加えて僕はGKとなっていた。プレイステーションにすべてを費やす日々。このあたりから僕にとってゲームは1人でプレイし、学校で進捗を共有するようなものとなった。なんか仕事みたいだな。
 
さらに高校、大学になるとマシンパワーをガンガンに使うリッチなゲームに傾倒していった。そんな傾向が途絶えたのは社会人になってから。圧倒的な精神成長により「やりたいものを素直にやればいいんじゃない?」と思えるようになったことで長らく続いたGK時代も終了。残業代で成した一財産を背景にDSとポケモン黒を購入。「ポケモンやるんで帰ります」と破顔定時退社をしたものだ。
 
久々にプレイしたポケモンは昔とは変わっていた。世界中とつながる通信、確立された対戦ルール、ファイヤーの復権、そしてなにより、個体値努力値の概念が一般化した環境。僕も軽くゲーマーだ。厳選はともかく努力値振りくらいはしたし、ネットで情報を集めてパーティを考えて対戦の海に飛び込んだりもした。それはとても楽しかった。これは確かだ。けど昔のような、ミュウツーを並べてみんなで楽しんでた頃とは違う、ガチ対戦としての楽しさ。それはそれで楽しいんだけど、もう一度みんなでミュウツーを並べてふぶきを打ち合ってワイワイする楽しさ、あれを味わいたかった。しかしそれはこの年では叶わぬ夢。大人になると大抵の人がゲームをやらなくなり、それ以外の人はガチゲーマーへ、中途半端なままの人は、そういない。
 
 
私事だけど、もうすぐ子供ができる。気が早い話だが、この子がゲームをプレイするようになる頃もポケモンは今のように愛されているだろうか。ぜひともそうあって欲しい。こと酒を飲み交わすことを楽しみにする親がいるが、僕は酒よりゲーム対戦を交わすことが楽しみだ。酒は恐ろしい、違う、ゲームは、ポケモンは楽しい。任天堂のゲームは皆で楽しめるものばかりだ、スマホゲーが全盛のこのご時世だが、今後もますますの発展を祈りたい。