WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

無くす判断は作るよりも難しい

朝、駅へ急ぐ僕の前に立ちはだかるは、ご老人の団体。9条を守れー、若者を戦争に行かせるなー、と元気ハツラツに叫ぶ彼らの輝きに満ちた目…税金年金をガッツリ吸われながら必死に働きに出る僕の、死んだ魚のような目とは対照的である。9条について、今は興味が高くないので言及しないけど、ルールや解釈の変更に対して僕ら日本人はすぐ拒否反応を示すよな。特に縛りを増やすときよりも、緩和する時に。これは憲法以外にも当てはまる。

僕は機構設計者、製品を出す時には社内の評価基準をクリアする必要がある。評価基準はユーザーの使用用途を考慮して策定されている。フールプルーフ、フェールセーフ、外観、強度などなど。これらはシミュレーションとこれまでの製品の故障・返却率から考え抜かれていて、ある種のノウハウとも言えるものだ。

しかし時代が変われば人も変わり、モノの使われ方も変化する。それに合わせて新しい評価が増える…のはいいが、旧世代の評価は無くならない。実態とはあっていない使い方の想定、必要の無い評価。多くの人が無くすべきだと思っていてもなくならない。無くす手続きは面倒だ、問題提起、関係各所とのやり取り、上司への説明…考えるだけでも工数が発散していく光景が目に浮かぶ。そうして無くしたことで万が一のことがあれば責任を問われる。既にあるものをなくそうとするのは、個人レベルで見ると合理性に欠けている。

ただ、こうして積み重なる無駄な評価は、無駄な工数を呼ぶ。無駄な工数は僕らサラリーマンの残業の元となり、その費用は間接的に製品にチャージされる。

また評価の工数分だけで済めばいいが、その評価のためにスペック変更が必要になる場合はさらに悲惨だ。お金と時間をかけて修正、対処する僕らの工数も倍プッシュ、その結果できあがるのはオーバースペックの物体。泣くしかない。もちろん費用は製品価格にチャージされるのでユーザーも泣くしかない。

以上は僕の経験によるものだけど、機能を盛りまくる電気製品、サービスなどは既存のものを消去する難しさを雄弁に語っている。過ぎたるは及ばざるがごとし。機能も規制も実態にそぐわないものは負担になるだけ、会社も社会もフレキシブルになればなーと感じる今日このごろ。