WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

発売日を迎えられなかった製品

僕はそれなりに長く開発職をやっているので、製品の量産を待たずに開発中止になってしまうプロジェクトをいくつも見てきた。環境の変化だったり想定したスペックへの未達だったり、コストがミートしなかったり営業の失敗だったり…理由は様々だけど、開発中止というのはだれ一人として得をしない、完全敗北だ。今まで僕がアサインされたプロジェクトは窮地に陥った時でも、時には天変地異、時には上位者の剛腕でゴールまで完走しきっていたので、何となく僕はそういう星の元に生まれてきたと考えるようになっていた。そんな僕だから、今回のプロジェクトに暗雲が漂い始めた時も「何だかんだで最後までいけるんだろう」なんて思っていたし、雲の上くらい偉い人が開発関係者全員を集めて緊急会議を開いた時も、「開発中止」という言葉が出るまで1週間後に控えた金型起工データの提出までに問題をどう潰しこむかしか考えていなかった。

開発中止を偉い人から告げられてからも僕は何だかフワフワして夢でも見てるような感じだった。さっきまで残問題解消に向けて眉間にしわを寄せて議論を交わしていたというのに、急にそれらが無意味なものになったなんて。それでも残課題がある状態は気持ち悪いので、僕は切削で作ったこの世にただ1台存在する試作機で評価を続け、対策を考えた。どうせ次のプロジェクトが決まるまでは無職だし。

あくまで中止が決まったプロジェクト、お金は出ない。対策の効果を見るのも金が発生しない簡易シミュレーションと現物試作機の手加工しかない。湧いてくる「終わった感」によるモチベーション低下と闘いながら、最後の詰めとなる部分を仕上げていく日々。最終的に出来上がった、手垢のつきまくった試作機は、悪くないレベルになった、と自分では思っている。

設計を完成させた後は、自分のやってきたことのドキュメンテーションだ。開発中止された機種の経験は、ノウハウというには弱い。何せ量産されていないのだ。お客さんの声も聞けてなければ、そもそも量産における問題点の洗い出しすらできていない、いわば解きっぱなしのテストみたいな状態だ。それでもドキュメンテーションは必要だ。製品という形で世の中には出られなかったが、金や時間をかけて検討してきたことは無駄ではない、無駄にしてはいけない。

そして本日、そのドキュメントが完成し、周囲への周知も終わった。僕も次のプロジェクトにアサインされた。ただ、最後に1つだけ残っていることがある。破壊試験…限界の実力がどこにあるのか調べるために壊れるまで行われる強度試験。世界にたった1台の試作機に最後に課せられたもの。明日、その試験が実行される。この試験が終わった後、このプロジェクト、この機種は完全に最期を迎える。

世に出てない製品は忘れられるのも早い。僕が作った検討内容のドキュメントも、どのくらい活用されるかは不明だ。今後の開発計画を考えると、しばらくは出番がなさそうだ。だけど、どんな形でもいい。少しでも後に続くだれかの助けになってくれれば、と思う。頑張ってやってきた仕事がお蔵入りしてしまうほど虚しいことはないからね。

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