WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

24時間テレビは時間短くしちゃえばいいのに

<考え>

・障害や難病を世に知らしめ寄付を募る意味で番組自体の必要性は感じる

・厳しいチャレンジで感動を強要するのではなく活躍する姿で希望を与えるべき

・豊富な人/金/信用を集中投資して真に誰かのためになるものを作ろう

 

 長時間続く間延びした番組

まるで成長していない…何年かぶりに見た24時間テレビは昔見た時となんら変わっていなかった。芸能人の長距離走や障害者のハードなチャレンジ、ちょこちょこ差し込まれる感動エピソード、荒れるネット… 見ていてつまらない。番組から感じられるのは愛ではなく製作側の苦労だ。24時間という長い時間を何とか持たせようと長時間にわたるチャレンジを見せ、後付けのように小出しにエピソードを見せ、なんとか番組として成り立たせようとしている様子が見て取れる。

 番組自体は続ける意義がある

世の中障害や難病に苦しんでいる人やその家族は確かに存在し、それらを世に知らしめて寄付を募る。そういう番組があること自体はいいことだと僕は思う。実際、僕も番組を見て初めて目にした病気もあり、それについて調べてみるなど多少の関心を引かれることもあった。実生活に対し即座に影響はないかもしれないが、そうした関心から得られた知識が何かに…僕の場合だと機種設計時の配慮などに…フィードバックされるかもしれない。

 

出演者のギャラの話題が上がったりもするけど24時間テレビが無かったからと言ってその分のお金が寄付に回されるわけでもなし、そもそも代替に入る番組でもギャラが発生するわけだし。芸能人の活用も寄付の額を向上させるためには必要だよね。では僕にとって何が不満かというと、やっぱり前述のように番組がつまらない事なんだよね。 

長時間であることが問題なのでは?

僕はつまらなさの原因は長時間番組であることと見ている。駅伝のようなレースではなく淡々と続く長距離走を見るのは退屈だ。足に麻痺を持つ子供に富士登山をさせるのは可哀想でしかない。しかし製作者側からするとこれらのコンテンツは長時間使える上に合間合間に挟むことが出来る便利な枠だろう。24時間という長い放送に一貫性を持たせるためにはこういう長時間にわたるチャレンジ、という名の犠牲が必要になる。間があいたとき、予算不足で十分なコンテンツが提供できない時間帯、いろいろな場面で長時間チャレンジは大したアップデートもなく繰り返し放送される。まるで種ガンダムのニコル死亡シーンのように。*1

足りないものを努力で埋めるより足りているところを伸ばす時代

ダイバーシティが叫ばれる今の時代、苦手な分野を努力で乗り越える姿より活躍できる分野で生き生きしている姿の方が映えるんじゃなかろうか。障害を抱える人が厳しいチャレンジを成し遂げる姿が感動を呼んでいた時代があるのかもしれないが、僕はその姿に「なんて酷な事を」という感想しか抱けなかった。障害を抱える人から見たらどうなんだろうか。健常者がこなせる事を懸命に苦しみながら成し遂げる姿に勇気や希望を抱けるだろうか。

 

希望を見せるには社会で活躍している姿こそが必要だと僕は思う。パラリンピックに出場するようなアスリートなどはうってつけだろうし、世間にも障害を抱えながら立派に勤め上げている人は僕の会社や周囲にも見かけられる。そうした世間で活躍する姿をみせてこそ障害者に希望を持たせられるし、見る側としても沈んだ気持ちにならなくてもいいのではと思う。チャレンジだけが感動を呼ぶものではないのだ。

時間短縮で密度を上げれば

アピールのためには24時間も必要ない。24時間という放送時間によって得られるのは何だろう。インパクトはもちろん、丸1日放送することでどんな生活帯の人にも見られるようにする狙いがもともとはあったのではないかと思う。しかし時代は流れ24時間行う事のインパクトは薄れ、そもそもテレビを見ない人も増えてきた。アピールのためなら一番視聴率の高いゴールデンタイム周辺の時間で十分だろう。長時間放送なんてものを考えるから前述するよう変にハードなコンテンツが生まれるし、何より密度が低くスッカスカなコンテンツが増える。

メディアは豊富な人材・コネ・金そして社会的信用力を持っている。そんな彼らだからこそ出来るものがきっとあるはずだ。24時間テレビの中で1つだけ印象に残ったコンテンツがある。福山型筋ジストロフィーの少女の自由に動き回りたいという願いをお昼寝アニメーションを通じて実現するというものだ。お昼寝アートのアイデア自体は他から拾ってきたものだけれど、メディアならでは資源…人や機材など…を駆使して少女の願いを叶えるというのはすばらしいものだ。アニメーションを見た少女がどのように感じたかは僕には分からないが、少なくとも家族は嬉しかったに違いない。番組のためとは言え多くの人が自分の娘のために動き、彼女のための作品を作り遂げられたのだ。こうした、人のためになる事こそ本当の仕事なのではと強く思わさせられた。

メディアの人は元々明るい事好きでしょ?

大手メディアに就職した知人がいる。彼は明るくて面白くて人気者でリア充で…メディアってそういう人達が集まるんだろうし、そういう人達をとってるんでしょ?そんなリア充集団なら、もっと明るくて楽しくて面白い番組が作れるんじゃないの?文化がどうだとかお金がどうだとかはあるかもしれないけど、そんなの全部飲み込んだ上でウェーイ!って感じでなんとかやれるんでしょ?だから24時間テレビも明るくパーっと楽しいものにして欲しい。暗い話題が多い時代に、重たい命題を持つ24時間テレビ…だからこそ盛り上げて皆が楽しめるコンテンツに仕上げて欲しいと感じる今日この頃。

*1:ニコルの死亡シーンは32回再利用されたそうな