WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

好きなことは仕事にならない

「議論は尽くされていない」…開発会議は宿題を消化したが新しい宿題が出され、プラマイゼロの進捗と相成った。何かを作るというのは相応のお金が必要で、利益の最大化のために議論を尽くすというのは間違いではない。だけど前に進めない、進んでいるけど歩みが遅い状況というのはなかなかに歯がゆい。こういう時はベンチャー企業など小規模な集団のフットワークの軽さが羨ましくなる。

 
もちろんベンチャー企業に勤めることは大いににリスクがある。会社自体がなくなる可能性は元より、会社も自分ものし上がっていかなければ待遇は永遠に改善されないだろう。実力主義といえば聞こえがいいが、ある程度は何でも屋的なところがないとやっていけないのかとも思う。
 
かつての会社の同期に「自分で製品を創るんだ」という意思を抱き、規模の小さな会社に転職した者がいた。彼は企画という職務で採用されたが、一人だけの部署で新規開拓営業のようなことをやりながら隔週休2日で頑張っているそうだ。想像していた仕事と違う…グラスを傾けながら彼はそう語った。仕事である限り自分の声より顧客の声、自分の思いより会社の利益を優先しなければいけない。そういう視点で見ると、ベンチャーはフットワークの軽さにある程度の裁量権はあるかもしれないが、結局は仕事というシガラミから逃れられるものではないのかなと思う。
 
自分は開発が割と好きだ。少なくとも営業や、事務作業よりは。しかし僕が本当に好きなのは、自分が作りたいものを自分が思ったように作る開発だ。多少見てくれが悪くても自分に特化して機能を絞ったものとかがそれに当たる。だけどそれは仕事で実現されることは無い。一般的に求められる機能性能にお国の決め事、社内のルール、僕の思いや趣味は開発のイベントを踏む事にかき消されていく。営業にしても自分の趣味を顧客に押し付けても数字は上がらないだろうし、マーケティングも市場との対話でなされるものだろう。
 
仕事がデキる人なら我を通すことは出来るのかもしれない。ネットワークで様々な情報をかき集められるこの時代、自分の都合のいいデータを集めてストーリーを作り根回しをしっかりしておけば自分の思うとおりにことを運べるだろう。そう上手くいくかは微妙だし、僕自身はそこまでやりきるだけのモチベーションは湧いてこない。たぶん大半の人はそうじゃないだろうか。自論を通すよりも妥当な理論、正論に従うほうが楽だし言い訳も聞く…合理的だ。
 
そんなわけでやっぱり好きなことは趣味でやりたいなーと思ったが、僕はプライベートで何かを作ることってあまりしてないことに気付いた。特に社会人になって以降は。その代わり僕は消費を楽しんでいる。先ほども昨日注文したTHETA Sを手に取りアプリをインストールして試験撮影を行い、撮った写真をクルクルさせて嫁さんに自慢していた。そうか、僕は開発よりも消費行動が好きだったのだ。そんなわけでなにかを消費するだけで生きていきたいなと思うけれど、消費だけで利益に変換する方法はやはり思いつかなかった。好きなことでは生きていけない。