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WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

沈む船から真っ先にいなくなる社員は本当に優秀なのか

先日、中途採用された人たちで飲み会をやった。彼らの転職理由はそれぞれだ。やりたいことがやれない、金、人間関係…お酒の席のことなので、どれも本音なんだろう。どのような思いであっても自分で考え決断し、行動したことであるから、その点は大いにリスペクトしたい。ただ出ていったことが偉い的なニュアンスを匂わせる人もいて、心の中にモヤモヤが生まれた。

 

大企業が生き残りのためにガシガシ人を切ってくこの時代…会社の事業が傾いた時、早期退職を募集しはじめた時、優秀な社員からいなくなっていく。こういった話をよく聞く。転職する人は優秀、残る人は残念、だがそれは本当だろうか?僕は必ずしもそうじゃないのではと考えている。

 

社内にいて自分の事業の経営状態を把握するのは難しいことではない。まともな会社なら情報共有のために社員向けの事業説明は行うし、上場企業ならIR情報を見ればいい。そもそも本当に危ない事業というのは、部署の雰囲気で分かるのだ。世間話をしてる最中に「うちの会社は大丈夫なのかね」的な話題が半自虐で出てきたり、社員の活気がなくなってたりとかね。なので転職する人としない人には情報感度、いわゆるアンテナの高さはあまり関係ない。

 

ならば決断力の違いで優劣の違いがでるのではないかと考えてみるが、転職決断へのハードルの高さは人によりけりだ。独り身の若手などは最もハードルが低い。自分1人だけならどこにでも行けるし収入がどうなろうと生きていく程度に稼ぐのは楽勝だ。これが結婚してたり子供がいたり、親の面倒を見たり…となってくるとハードルはどんどん上がっていく。居住地に縛りが出てくるし、そもそも家族の同意を取り付ける必要がある。こうなってくると決断力だけの問題ではない。

 

じゃあ転職組と居残り組をわけるものはなにかというとタイミングと縁なのかなと思う。そこには人による優劣の差分はない。転職がチャレンジングなことであれば、傾いた事業部の立て直しに奮起するのもまたチャレンジングなことだ。どちらにせよ苦難を乗り越える必要があり、それが成されれば何かしら得るものがあるだろう。仕事のできる度合いは出自でなく個々人の意識しだいだ。

 

技術革新と文化の発展は人々の暮らしをよくしてきた。しかし未だ社会は一般人を楽にしてくれることはなく、僕らは相応に成長し続け価値を生み出していく必要がある。僕も成長していかなければ…と思う一方で、たんぽぽを刺身に載せるような仕事だけでのんびり暮らしていきたいなぁと思う僕がいる。