WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

ブログは日記、過去の記事から思い起こされる恥ずかしくも懐かしい日々

今週のお題「私がブログを書く理由」

 

僕がはてなブログに移ったのは今年の1月からだ。だけど実際のところは2005年からブログ自体は書いている。なぜ書き始めたかと問われると暇だったから。ブログだけでなくインターネットそのものに言えることだけど、お金がかからず質を問わなければ無限とも言えるコンテンツがあり、暇つぶしには最適なツールだ。とはいえ消費するだけだと無為に時間をつぶすだけになるので何かしらクリエイトしないと…ということで時間や金などの先行投資無しでできるブログに白羽の矢がたったのだ。

 

 

僕のブログは大半が日記的なものだった。ちょくちょく時事ネタを挟むことがあるし、自分用のメモとして使ったり、たまに意識が高まって研究や学業のことを書いたりするが、大半は日々の記録である。僕のようなタダの一般人の日記は、当たり前だけど、世間一般的に需要が低く、アクセス数は大したことない。収益などもってのほかだ。だけどブログを始めたころの僕は大学生、時間はあるが金はない。下宿生活で1日をかなり自由に使えた僕はともすれば持て余しかねない時間をブログで消費することで支出を大幅に抑えることが出来た。このお金はのちに大学院に入ってからの生活で活躍するのだけれど、それはこの記事で話すことではないかな。

 

時は経ち大学生の僕は院に入り、ホワイト社会人よりちょっと長い程度の拘束時間が発生することになる。この時になるとブログは暇つぶしだけではなく、自分のログを取る意味合いも生まれていた。というのも、そこそこ資金が潤沢になった僕は株式投資を始めていて、どんな株を買うかや一日の騰落で一喜一憂し、その気持ちを…思いを残したかったのだ。また暗めな話になるがブログは僕のアイデンティティでもあった。僕の通っていた大学はデキるヤツが沢山いて、その中でも僕の所属していた研究室は上も下も同期も粒揃いだった。僕は大学も大学院もギリギリなんとか受かったレベルで、講義や研究において自分と周りのレベル差に絶望していたクチだ。本業では決して敵わない存在を認識し、それでも人生の充実度では負けたくないという思いから違う分野に活路を求めていて、その一部がブログだった。(ちなみに投資を始めたのもこの思いがキッカケ)

 

就職していい意味でも悪い意味でも実生活が充実してくるとさすがに時間が無くなりブログの更新頻度は下がっていった。だけどふとした瞬間に自分のブログを見直してみると、かつての思いが、境遇が思い出されて懐かしくて疲れが抜けるような気分になる。記事の大半は黒歴史的なものだし、健康コーポレーション(ライザップの会社)を「これから時代は健康志向だ!長期投資!」とか言ってリーマンショックで手放しているところとか殴りたくなるが、そこにはかつての自分がいて、思い出も文章に残ってある。ちなみにいま健康コーポのチャートを見てみるとあの時の買値の4倍くらいは余裕でありそうだ。キツイ。

 

僕のブログは今も大半が日記だ。30代の男性が書くタダの日記には、もちろん需要は無い。*1だけどそれでもいい。副収入でルノアールに行きたいという野望はあるが、それは主目的ではない。今の僕のモチベーションは記録だ。僕がこの先40、50と年を重ねていったときに「かつて」を鮮明に思い出せるように。その思い出が明日を生きる糧になるように。楽しさも苦しさも歓びも悲しみも、写真だけでは残せない日常の雰囲気を文章に載せ、今というログを残す。それが、私がブログを書く理由。

*1:だからこそ読者登録してたり読みに来てくれる人には感謝したい