読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

日本の大企業の新規事業は成功するのか?

新規事業への取り組みは色々やってるけど

新規事業を模索しているのはベンチャーや個人だけではない。大企業も新しいビジネスの芽を見つけるため、日夜知恵を絞っている。新規事業戦略の部署を設けたり、事業創生のためのハッカソンを行ってみたり、外からコンサルを引っ張ってきたり…こういった取組にも関わらず、あまり新規事業が立ち上がっている様子は見てとれない。僕はやっぱり、日本の既存企業…特に大企業が新規事業を起こすのは難しいのかなと考えている。
 

 

発案者に経営資源分配の権利が無い

大企業には豊富な経営資源がある、それは莫大な資金力だったり、製造能力だったり、そしてスキルを持った人材だ。しかしそれらを新規事業の発案者が自由に使うことは出来ない。
 
新規事業プログラムを会社に後押ししてもらう為には、他の新規事業案との競争に生き残る必要がある。その成否を決めるのは経営陣へのプレゼンテーションだ。そして、そのようにして選出された新規事業はやはり経営陣からの監視や関与を完全に排除することは出来ない。さらに言うと経営陣でさえ、自分たちの思うように動くことは出来ない。大企業には多くのステークホルダーがいて、それらが納得できるような経営を行うことこそが良い経営だからだ。シャープの身売りの話も、銀行や株主の思惑が先行して経営陣に決定権は無かったように感じる。企業のガバナンスが整っていれば整っている程、誰であれ独断での判断はできなくなる…そしてその独断による即決こそが新しい事業を生み出すのに重要な要素ではないだろうか。
 

市場の限定

企業として利益を上げるためには収益が見込める市場に参入することが前提となる。しかし新規事業により開拓される市場は往々にしてまだ生まれていない市場であり、それらがもたらすであろう利益を事前に見込むのは無理難題と言っていい。それでも企業からお金を出してもらうにはターゲットを明確にして市場規模を想定し、自分たちが必要になるであろう予算を算出した上で、どの程度の期間で利益がどの程度見込めるのかを示さねばなるまい。企業に務める人は普段から利益とか予算を強く意識しており、この思考から逃れることは難しいんじゃないだろうか。少なくとも僕はそうだ。利益を出すための市場を考えると、たどり着く先は既存の市場、競争相手も満員電車状態のレッドオーシャン。利益というメガネをかけた状態では、極小さな未開の市場は見えやしない。
 

狂人の不在

上記のことを解決すれば新規事業は成功するかというと、やはりそうではない。これらは前提条件だ。そこからの成功については多少のセンスと多大な努力、そして何より幸運が必要だろう。先進的なアイデアだけで成功はつかめない。実用レベルまで漕ぎ着ける技術力、世間に周知されるための広報力、そして受け入れてくれる市場…。新規事業というのはそれ自体がギャンブルみたいなものだ、正気では大業ならず。
 
近年はクラウドファンディングが一般的になり、周りに束縛されない資金集めが可能になった。ネット上の様々なコミュニティーは必要な人や技術を入手する壁を破壊した。個人や少数チームでも十分に事を成せる環境は整った。僕は、新しい市場を切り開くのは我の強い狂人だと思っている。周りの意見を何ともせず、自分の理想を掲げて異常な行動力で人を巻き込み目的を果たす。大企業には一番向かない、コミュニケーションが出来ないタイプだ。日本の企業にも個性豊かなさまざまな人がいるけれど、基本的な能力として相手の話を聞いて配慮を行う程度のコミュニケーション能力を持っている。彼らは狂人ではない。
 
かつて僕がいた会社では会社の一大事業を築きあげた、伝説と呼ばれた人がいた。その人は週の半分くらいしか会社に来なかったり、かと思えば数日間会社に居座ったりと、現在の価値観だと考えられない行動をする人だった。今の常識からすると充分に狂人だ。当時の会社はそういう人を受け入れてやっていく文化があったんだろう。現代に至るまでにその大らかさは失われたが、それは同時に日本の企業から新規事業の芽を摘んでしまったのではないかと思う。
 

僕は日本企業に絶望していない

 以上に上げた理由で、僕は日本の大企業は新規事業を開拓するのには向いてないなと考えている。既存領域は衰退が見え、新規事業は開拓できず…それでも僕は日本の企業に絶望はしない。新規事業というのは、そうそう当たるものではない。そして一度切り開かれた市場は、新しい戦場となる。先駆者利益というものは確かにあるだろうが、一度市場が切り開かれたなら、そこからは持続的な改善がモノをいう。日本人の強みは地道な積み上げと全体の事を考えられる視点だ。これらはブラック企業に良いように使われるためネガティブな印象を持たれているが、決して悪いものではない。技術というのは持続的な努力から生まれるものだ。
 
僕が通っていた大学の研究室、同期がやっていた研究は代々受け継がれ機械系という領域を超えたものに変化していた。例え自分の代でなせずとも後に託す者が引き継ぎ、また発展させていく。素晴らしいことじゃないか。ちなみに僕の研究は、後輩が東大の院に進学したので無くなった。東大はクソだ。
 
また、海外には後れを取っているが日本企業の文化もずいぶんオープンになってきたように思う。ダイバーシティを謳いはじめもした。このままいけば、昔のような大らかさを取り戻すのかもしれない。そうなれば、またかつての輝きを取り戻せるのではないか。そんな想像がまだまだできるんだ、日本の大企業だってまだまだやれるでしょ。