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マニュアル化の功罪

日本で持て囃される職人気質、それに対して効率面で切り込んでいく…というのはなかなか賛同が集まるところ。

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上記のエントリーではみるおか氏の経験を交え、職人的な仕事をマニュアル化して効率化し、その先を発展させていくことの重要性を説いている。マニュアル化することによる利点は上記の記事を読んでもらえればと思うので、僕はマニュアル化業務を押し付けられたことで経験した諸問題から、マニュアル化することの罪の方を語ってみたい。

 

また僕が20代だった頃、やんごとなきお方から勅命が下り、とあるチームが作られた。設計マニュアル化プロジェクト。設計のノウハウをマニュアル化する事で新卒だろうが文系だろうが誰でもベテランのように設計でき、何一つ問題が起きないようにする…夢のようなプロジェクトだ。どうせなら夢のままで終わってくれればよかったのだが。僕は設計者の前に貧弱一般サラリーマン、ヨロコンデーと威勢よく引き受け、設計者からクリエイティビティと立場をなくすための業務に取り掛かった。くっそーせめて課長くらいの肩書きがあればなー。

 

マニュアル化の対象はツメや位置決めの形状から素使用材料やらなんやら多岐に渡った。そのために膨大な量の過去機種を掘り起こし、もはや異動で担当者すらいないそれらの設計思想を調べてまとめあげて安全率というスパイスを混ぜた最良の形状を導き、それを誰もが参照できるようにした。文字に起こせばなんてことないが、僕もほかのメンバーもかなりの工数をマニュアル化に費やした。無論ぼくたちは機械設計者、本業は開発なので、これらの作業は開発のかたわらで行われ、定時で終わらない分は愛社精神で補った。

 

こうして制定されたマニュアルにより設計は効率化された、と思われていたがそうはいかない。マニュアルは多岐に渡るため参照に要する時間は膨大、僕のような何でもググる、クリエイティビティを引き換えにして検索能力に長けた人間にはまだいいが、自らのクリエイティビティを発揮するタイプの人には重石のようなものだ。マニュアルを守らずに問題を起こしてしまうというのは命令違反に等しい行為、ギルティー、自ら余計なリスクを被るロックンロールな人材は僕のいた部署にはいなかった。製品開発は過去から進歩していることが必須なので過去の蓄積から導き出された形状は仕様とマッチしないことが多々あり、設計者は大いに悩まされた。最終的にはマニュアルを破るための完璧な理論武装を施すことが宿命され、その準備に多くの工数が割かれた。

 

マニュアルを参照するのは設計者だけではない。DR(デザインレビュー)においては魔女狩りのごとく、膨大なマニュアルに沿った設計が行われているかを確認する作業が追加された。このためDR工数は大幅にアップ、キツイ。設計工数削減しても他のとこで工数増えるとか、なんのために僕は愛社精神を発揮したのか。DRはプロジェクト外の参加者が多いので被害は拡大、工数のリーマンショック。開発スケジュールはそんなこと考慮してくれないので工数の捻出にリーダーが奔走するハメになる。愛社精神でカバー。

 

そうしてマニュアルを元に設計されたものは、しばしば問題が起きた。「マニュアルを完全に守ったのに…」という声が上がったが、マニュアルを言い訳にしてはいけない。物事に絶対はない、マニュアルも例外ではない。装置の構成が違えば形状にかかる負荷や必要とされる性能も変わるし、設計データ上はマニュアル通りに作ったとしても実際の製造品がソレ通りに作られることなんてありえない。設計者にはこれらを考慮して設計を行わなければならないし、現物の確認もきっちりこなさないといけない。だがマニュアルではそういう設計意図が三分の一も伝わらない。注意することをずらーっと書き連ねることはできるけど、そんな冗長なマニュアルだと参照する方も消耗するし、結局新しい物事に対応できない。まだサンシタの僕が言うのもなんだけど、こういった感性的な、定性的な部分が設計者の経験ともいえるもので、これらは定量的なものでは表しがたい。今後IoTやらビッグデータやらで沢山の統計が集まれば、これら感性が定量的になる日も来るだろう。しかしそれをイチ個人に求めるのは酷だ。

 

以上に加え、日進月歩で技術が進むこの世界ではマニュアルの定期メンテナンスも必要であり、それでまた工数がかかる。これらの体験から僕が言いたいのはクリエイティブな業務はマニュアル化してはいけないということ。マニュアル化すると物事は業務は作業となり、楽になる。クリエイティブはキツイ、マニュアルがあるとそこを拠り所としたくなる。だがそれは大きなミステイク。事務的な作業やら完全にルーティンとなっている物事に対してマニュアル化、効率化を進めるのは僕も賛成だ。だけど、知識として知るだけではなく、経験として理解しなければいけないことというのは確実に存在する。効率ばかりを追い求めるんじゃなくて、非効率に見えることを肯定的な目線でみて、その背景を考えてみてはどうだろうかね。