WICの中から

機構設計者が株式投資や育児に奮闘するblog

辛いとき辛いと言ってくれたらいいのにな

僕は機械設計者、開発職をやっていると担当プロジェクトにおいて「あ、これ納期無理だな」と悟ってしまうことがある。こうした、いわゆる炎上プロジェクトは大抵がチャレンジングな開発であり、機構だけでなく電気やソフトといった面でも爆弾を抱えているのが常だ。某鋭敏社は後出しで偶発債務のことを報告したが、僕ら開発者は正直が信条、進捗会議では漏れなくホウ・レン・ソウだ。ただしモノは伝えよう、どんな絶望的な進捗も、それっぽい対策案とお尻を守ったスケジュールを提示すれば、あら不思議。現場から遠い上の人から見ると、なんとかなりそうだという雰囲気になってしまう。だけど本当は現場の皆が思っている…その対策は小手先の策、なんとかなんてならない。しかし言い出せない。それはさながらパンドラの箱、開けたが最後、あらゆる災厄が関係各所と自分自身をも焼き尽くしてしまう。

こうした状態で僕ら一般開発職にできるのはスケジュールを崩さない小手先のアイデアを片っ端から試すこと。毎日の大半が「これじゃ無理だろうな」と思うような対策の効果確認に費やされていく。この果てに何があるのか、行きつく先は神様へのお祈り。人事を尽くして天命を待つというが…神様、どうか電気かソフトを先にギブアップさせてください、との本気の祈り。日本の開発の闇。

開発をやっている人には僕らの納期意識はなかなか理解できないかもしれない。去年、三菱自動車がフルモデルチェンジの新車開発遅延を理由に開発部長二人の首を切っていた。あれは過剰な方だが、日本人の納期意識は大体そういう感じじゃないかと思う。誰だって自分の首はかわいいし、悪者にはなりたくない。だから、誰も納期遅延のパイオニアにはなりたくないのだ。

誰もが納期遅延を確信しながら、それでもスケジュール通り進めていくことは歪みを生み出す。納期が延びたら急いでやらなくていいこと、やり直しになること、そういったことを無駄になるなと感じながらもこなしていかなければならない。なぜなら表面上の開発は問題をはらみつつもスケジュール通り進行していることになっているからだ。はたしてこの成り立たないであろうスケジュールを守る意味があるのだろうか、自問することも少なくない。他の開発の進捗はどうだ?もう無理だろ、抜本的対策を打つべきだ、外からの視線ではそう見えても簡単にはあきらめない。機構も、電気も、ソフトも…。誰もが他人がゲロることを祈りながら、開発は終盤へさしかかる。

終盤に差し掛かったところで、爆弾はやっぱり爆発する。幸いといっていいのか、僕は機構要因で納期遅れとなったプロジェクトを経験したことが無い。電気系がカミングアウトし、その部署のお偉いさんの寿命と引き換えに、延期工程をゲット。それに便乗して構造にも抜本的対策を盛り込み、危機を回避してきた。とはいえ自分以外の部署のカミングアウト待ちをしている間は無駄な労力と心労が増えて、会社的にも突発対応することが多くなり、あまりよろしくない。納期の遅れは機会損失や、ときには違約金の発生に繋がるだろう。だがそれでも納期をもっとフレキシブルに…そんな文化や仕組みが浸透してくれればと、思わざるを得ない。電気屋が、ソフト屋が、辛いときに「ガンガン延期しようぜ」とパイオニアリングしてくれれば、そこは優しい世界。あの有名なゲームシリーズ、ドラクエのように、発売延期が受け入れられる世の中を、僕は強く望む。